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ライフワーク | 第1回目 菊池重雄氏

宮城県川崎町在住の菊地重雄さんを訪ねて

田畑やきのこを作り、炭を焼き‥
緑の懐で楽しむ自給自足的ライフ

●食べ物は薬だ!と、農業志願●


 宮城県川崎町に移り住み、若い頃からの夢である「自給自足的生活」をスタートさせたのが13年前・・・。菊地重雄さんは今、奥様の順子さんと2人、3反歩の田んぼを耕し、野菜やきのこを作り、炭も焼きながら、豊かな自然の中で暮らしています。「やっと最近、手が農夫らしくなってきました」と、四角くなった爪やごつごつした指を嬉しそうに見せてくださいました。

 菊地さんが、農業に着目したのは30代半ばでした。医者の誤診や薬の副作用などが重なって入退院を繰り返し、結局は、自ら探し当てた自然薬で回復することに。当時は有吉佐和子氏の小説「複合汚染」が注目されていたこともあり、西洋医学や科学に疑問を抱いたといいます。そしてこの時「食べ物は薬だ」と再認識し、害のない作物を自分の手で作りたいと、心から思ったそうです。

 最初は宮城県丸森町で仲間と共に、麦、シイタケ、養豚などを集団営農をはじめたものの、軌道に乗る前に仲間の離脱などで挫折。「町との契約があったので、断念せざるを得ませんでした」。グループでの就農が条件だったのです。

 とりあえず借金返済のため、独系の輸入商社に転職。もともとドイツ語が得意だったこともあり、順調に7年が経過、身も軽くなった頃、別の日本企業によるドイツでのゴルフ場開発プロジェクトに代表として加わることから渡独。3年間を現地で過ごしました。無事に交渉を成立させた満足感も束の間、やはり農業への夢は断ちがたく、日に日に思いが募る菊地さんでした。そして責任を果たしての帰国後すぐ、念願の農業に就いたのでした。

菊地重雄氏

仙台市出身:1963年東北大学経済学部卒業/富士電機製造(株)、ピーロートジャパン(株)、ミナミ商事(株)に勤務後、1991年から(株)庄定顧問。1992年より川崎町に移住/川崎の資源を生かす会会長、国土交通省「釜房ダム水源地域ヴィジョン」ネットワーク代表。
自宅風景   自宅工房
  ●日本古来の暮らしを求めて●

 現在、菊地さんは仙台市内の会社の顧問として週一日出勤し、ほかは農作業に精出す毎日。主な収入は顧問料と夫婦の年金ですが、農業を事業にするつもりはなく、「目標は食べ物を自給すること。100%無農薬とまではいきませんが、納得のいく方法で‥」と、適度なスローライフを楽しんでいらっしゃいます。余剰作物は、村おこしの産直市に出したり、近所におすそ分けしたり。昔ながらの物々交換によって、生活が成り立つようになるのが理想だと話します。

 「エアコンは1台もないし、冬の暖房は炭がメイン。お風呂は薪焚き、水は井戸を掘りました」。奥様の設計による杉材を使った住まいは、素人とは思えない確かな造り。「天然素材の家は、時間が経つほど風合いが良くなり、しっくりくるんですよ」と満足そうです。屋内のあちこちに使い勝手のよさそうな建具が工夫され、オリジナルで細やかな配慮が伺えます。大きなガラス戸から眺める緑も、マイナスイオンをたっぷり放射しているはず。庭に並ぶ手作りのテーブルや椅子は、ガーデンパーティーで活躍するそうです。

「ここは、自然が素晴らしい。季節の移り変わりがはっきりしていて、見ているのが楽しいんです。生活を旧暦に合わせてみようと考えたりね(笑)」、菊地さんの遊び心が映ります。なるほど、田作りも森の作業も、日本古来の知恵が生かされる旧暦の方が、営みにフィットするに違いありません。

日常のヒトコマ   干しキノコ
  ●欧州から日本の姿を実感●

 「ヨーロッパで3年間暮らし、昔の日本の良さを再認識しました。同時に、今の日本がどんなに逸脱しているかも痛感しますね」。かつての日本人は、恵まれた自然と共存しながら、質素だけれども豊かな生活を送っていました。しかし今の日本人は、便利さや速さを求め、世の中も経済優先主義。「終戦直後、敗戦国のドイツと日本の食糧自給率は、ほとんど同じ75%程度だったのに、現在ドイツは106%、日本はわずか40%。エネルギーでも、あちらは代替エネルギー:BDF開発が進んでいます。日本は危機管理が甘いといわざるを得ないでしょう」。目先の利益ばかり追わずに、100年先、200年先を見るべきと提言。「何が進んでいるのか、何が豊かなのか、もう一度考え直すべきですよね」。穏やかな話しぶりですが、言葉の奥には確固とした信念が伺えます。

 こうした経験を踏まえ、菊地さんは3年ほど前に「川崎町の資源をいかす会」を立ち上げました。『食料とエネルギーの100%自給宣言』のもと、現在は100名ほどが参加し、自然を楽しむ部会、エネルギー部会、農林産部会などに分かれて活動しています。さらにこの会は、国土交通省の『釜房ダム水源地域ヴィジョン』ネットワークとも連係。川崎町から、本来の豊かさを目指す活動が大きな運動となって広がることを、心から期待したいものです。

談話   手作り
  ●不便やスローを楽しむ生活●

 「難しそうに聞こえるでしょうが、みな楽しみながら、スローペースで活動を進めています。次世代の子どもたちに誇れる日本を伝えようと、長い目で‥」。そしてさらに菊地さんは、「『便利さ』には誰もクエスチョンをつけませんが、僕はつけたい。『不便さ』を楽しみにしたい。便利じゃないと手間がかかり、効率も悪いけれど、それをゆっくりやっていく中に面白みがあるんです。ファーストでなくスローです」とも話します。 

 自らの『作品』である大きなきのこを抱えながら、作業工程や収穫の喜びを話す菊地さん。また田んぼに入り、稲穂の成長を大事そうに見守る菊地さん。この生活を心から楽しみ、真の豊かさを生み出し、謳歌している様子がひしひしと伝わってきます。「そうそう、昔の僕はひ弱でしたが、すっかり健康体になりましたよ」との言葉も弾んでいました。

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