震災特別寄稿4 東日本大震災-東北大学病院の取り組み- 東北大学病院長 里見進

東北大学病院自体も被災

 3月11日に起こった東日本大震災では東北大学病院も研究棟、外来棟、検査室や手術室などに甚大な被害を受け、一時は電気、ガス、水道などのライフラインやすべてのエレベーターが停止するなどの混乱が生じましたが、幸いにも入院患者や職員は全員無事で、比較的早い時期から復旧に向けた取り組みを開始することができました。

段階を踏んで医療支援を開始

 東北大学病院では震災直後から復旧の過程を四段階に分け、病院の体制を整えながら手順を踏んで県内外の医療体制を支える活動を開始しました。第一段階は入院患者および職員の安全確保と緊急時に患者さんの重症度によって治療の順番を決めるトリアージ体制の確立です。以前から繰り返して行っていた訓練が功を奏し、震災後30分以内に病棟四階の会議室にて対策本部の立ち上げを宣言しました。引き続いて正面玄関待合室と高度救命救急センターにて、仙台市内外から搬送されて来る患者さんのトリアージ体制を整えることができました。  第二段階は病院機能を復旧するとともに仙台市周辺の医療機関への支援を開始することですが、病院機能をなくした市内の病院からの入院患者の受け入れやトリアージ体制の継続を行いました。震災後数日が経過して県沿岸部の被災状況が明らかになってきた時点で、第三段階として県の内外の医療機関への支援強化を開始しました。  今回の震災では被害が甚大であることから食料や医薬品、医療機材、生活用品の不足が予想されましたので、震災直後に全国の国立大学病院や学会関係者、本学関係者で在京中の皆さんにお願いして物資の集積を行いました。震災二日目には第一陣の支援物資が届き、その後も続々と支援物資を届けていただきましたので、公立や民間の区別なく多くの病院に対して医師や看護師を派遣するとともに食料や医薬品も届けることができました。この搬送には大学の多くの部局から運転手つきで供出いただいた車両が大活躍をしました。また、深刻な燃料不足に対処するために、主要な病院には連日定期のマイクロバスを運行することで、一度に効率よく大量の人員や資材を搬送することができました。震災の最前線の病院へ人員や物資を搬送するとともに、それらの病院を疲弊させないように、入院患者を無条件に受け入れることにしました。多い日には1日百名を超える入院患者さんがヘリや救急車で搬送されたこともありましたが、病院の職員は一丸となって支える体制をとり続けました。  第四段階は避難所の長期的な診療体制の整備と病院の正常機能への復帰です。震災当初は宮城県だけでも千か所を超える避難所に十数万人の避難民がいました。震災直後には全国から多くの緊急医療チームが駆けつけてくれましたが、二週間目頃には徐々に引き上げるようになりました。また、避難所の診療が急性期の病気から慢性期の疾患に移行してきました。そこで、現地のコーディネーターと話し合い、長期滞在型の医療チームを適切な数だけ配備する仕組みを整えることにしました。 日赤や医師会、また多くの都道府県の病院や大学病院のチームが今現在も交代しながら避難所の医療を支えております。東北大学病院はこれらのチームと協力しながら、てんかん科や精神科、感染症科、眼科、耳鼻科、皮膚科などがその専門性を活かした治療を行えるように巡回チームを編成して活動しました。これら以外にも歯科の診療グループは最も困難な検視業務に多くの方が参加しましたし、被災地への巡回歯科診療も実施しました。

医療の復興へ取り組む

 東北大学病院の機能はほぼ震災前に復旧しました。しかしながら、沿岸部はいまだ混乱が続いています。東北地方の医療を再生し再興するために東北大学病院はこれからも最大限の努力をしていきたいと考えております。

東北大学病院の様子

里見 進(さとみ すすむ)

里見 進(さとみ すすむ)
1948年生まれ
現職/東北大学病院 病院長
専門/外科学一般
   移植外科
   消化器外科



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