二〇〇九年十一月、私は天皇陛下から文化勲章を親授する栄誉に浴しました。科学者として至上の幸運に恵まれたと言わざるを得ません。私が、東北大学大学院理学研究科物理学専攻の大学院生として五年間、助手として二年間を過ごした「東北大学科学計測研究所」(現多元研の前身の一つ)は、まだ北山の三条町にありました。研究所のテニスコートの東側一〇〇メートル先には火葬場があり、ときどき煙突からはテニスの試合中に煙が舞い降りてくる環境でした。四十数年前の懐かしい夢物語です。
私はこの研究所で電子顕微鏡に出会い、これに魅了され、以来、半世紀に渡り電子顕微鏡による物質研究一途を過ごしてきました。その結果が文化勲章授与につながったというわけです。
受章理由は「高分解能電子顕微鏡技術の開発とカーボンナノチューブの発見」となっています。実は、このタイトルで少々安堵しています。飯島の仕事として一九九一年に発見されたカーボンナノチューブが強調され過ぎた感があり、それが不満でした。今回の受章では、その発見以前に長年関わってきた高分解能電子顕微鏡による材料研究も認めて頂いたことが嬉しいのです。私は、これまで酸化物、鉱物、半導体、金属、炭素材料など、たくさんの材料研究をしてきました。カーボンナノチューブはその一つに過ぎず、それがたまたま面白い材料で、多くの研究者の興味を引くことになった、と考えていたからです。
よく聞かれる質問に、「どうしてカーボンナノチューブを発見したのか」、があります。結論から言うと、発見以前のいろいろな研究と体験が発見に結びついているということになります。
具体的に説明するためには、私の研究遍歴を紹介しなければなりませんが、紙数が足りません。これについては別の機会に紹介しようと思います。キーワード的には、恩師との出会い、決断、挑戦、転職、背水の陣、幸運、などなどが挙げられます。特に、転職を決断することにより、国の内外ですばらしいそして複数の恩師に出会い、薫陶を受けたことが、私を研究者として大きく成長させたと思います。幸運を獲得するためにじっと待っているのではなく、自ら積極的に動いたことが、よい結果に結びついたと思います。