都市景観にとって街路は大切
私たちが、住む街や訪れた街を理解するとき、街路というものはとても大切な役割を果たします。 なぜなら、私たちが街を体験するのは、そのほとんどが街路を通ることで体験するからです。つまり、人は、一つ一つの街路での体験を紡ぎながら、その街全体を理解していきます。だから、良い街には必ず豊かな街路での体験があります。街路景観の研究というと、美しい街路を造り出すための研究と捉えられがちですが、本当はこうした豊かな体験を読み解いていく研究だと、私は思っています。 街路景観研究の過去と現在
古典的な街路景観研究では、形を研究してきました。看板が多いと、煩雑な印象になるとか、形と印象(体験)を結びつけようとするものです。こうした観点の背景には、西欧の合理美があります。西欧では、ルネッサンス期以来、左右対称といった幾何学的で合理的な美を街路に求め続けてきました。こうした合理美の考えで、日本では研究が進められてきただけでなく、実際のまちづくりでも、「三角屋根で統一」とか、「看板を統一」といった形の統一を中心に整備が行われてきました。
新しいまちづくりに向けて
住宅地でも、同じ事が言えます。マンションによっては、ベランダに洗濯物を干してはいけないという協定があります。これはまさに、生活という内部活動の情報を出さないようにして、高級感を演出するための協定なのです。高級店と同じですね。そのように考えると、旋盤を回している職人さんが丸見えの町工場も、お店の中の商品全部丸見えの駄菓子屋さんも、鉢植えや洗濯物があふれた長屋も、みんな共通して人情や温かみを感じますが、内部活動の情報があからさまに見えるという共通の特徴を持っています。昔ながらの下町の温かみは、街並みメッセージが支配しているのです。
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平野 勝也 (ひらの かつや) 1968年生まれ 現職/東北大学大学院情報科学研究科准教授 兼担/工学部建築・社会環境工学科准教授 専門/都市デザイン、景観工学 http://www.plan.civil.tohoku.ac.jp/~hirano/ |