シリーズ◎住環境を考える4 街路景観の新しい読み解き方 平野 勝也◎文 text by Katsuya Hirano

 都市景観にとって街路は大切

 私たちが、住む街や訪れた街を理解するとき、街路というものはとても大切な役割を果たします。 なぜなら、私たちが街を体験するのは、そのほとんどが街路を通ることで体験するからです。つまり、人は、一つ一つの街路での体験を紡ぎながら、その街全体を理解していきます。だから、良い街には必ず豊かな街路での体験があります。街路景観の研究というと、美しい街路を造り出すための研究と捉えられがちですが、本当はこうした豊かな体験を読み解いていく研究だと、私は思っています。

 街路景観研究の過去と現在

 古典的な街路景観研究では、形を研究してきました。看板が多いと、煩雑な印象になるとか、形と印象(体験)を結びつけようとするものです。こうした観点の背景には、西欧の合理美があります。西欧では、ルネッサンス期以来、左右対称といった幾何学的で合理的な美を街路に求め続けてきました。こうした合理美の考えで、日本では研究が進められてきただけでなく、実際のまちづくりでも、「三角屋根で統一」とか、「看板を統一」といった形の統一を中心に整備が行われてきました。
 しかし、例えば東京の表参道はお洒落な街路として有名ですが、形態的な統一はありません。形の統一や合理美だけでは、日本の街の魅力は語れないのです。私は10年ほど前から、形から抜けだして「街並みメッセージ論」を提唱しています。形ではなく建物内部の情報が、街路にどのようにメッセージとして発信されているのかを見るのです。例えば、青果店のの店頭には野菜が並んでいます。これが、実はメセージなのです。その店で野菜を売っているということが、道行く人に伝わるのですから。普通の青果店では、野菜を沢山並べて沢山メッセージを出しています。家電量販店では、商品だけでなく、「大安売り」といった文字も沢山並べられています。「街並みメッセージ論」は、こうしたメッセージの種類や量を見て、人間はその場の雰囲気を感じているという仮説です。
 さて、高級店はどんな業種でも、決まって商品のごく一部だけしか飾りません。だからメッセージの量はとても少ないのです。つまり、表参道には形の統一は無いけれど、どのお店も情報を出さないという統一感があります。そこに表参道のお洒落な印象の源を、初めて見つけることができるのです。


写真/東京都・上野「アメ横」の景観
写真/東京都・上野「アメ横」の景観
賑わいで有名な「アメ横」にも明快な形態的統一はありません。あるのは、
商品の情報をたくさん出すというメッセージの統一です。

 新しいまちづくりに向けて

 住宅地でも、同じ事が言えます。マンションによっては、ベランダに洗濯物を干してはいけないという協定があります。これはまさに、生活という内部活動の情報を出さないようにして、高級感を演出するための協定なのです。高級店と同じですね。そのように考えると、旋盤を回している職人さんが丸見えの町工場も、お店の中の商品全部丸見えの駄菓子屋さんも、鉢植えや洗濯物があふれた長屋も、みんな共通して人情や温かみを感じますが、内部活動の情報があからさまに見えるという共通の特徴を持っています。昔ながらの下町の温かみは、街並みメッセージが支配しているのです。
 こうして考えると、住宅地のまちづくりにも、新しい方向性が見えてきます。街の皆で手入れされた鉢植えを出す。それだけのことで、随分と印象が変わることも解ってきています。建物が不揃いだから、まちづくりは意味がないなんて思う必要はありません。ちょっとしたことでも、皆で協力すれば大きく印象が変わります。皆さんも、ご自宅から、街路に素敵なメッセージを発信してみませんか?




平野 勝也 平野 勝也 (ひらの かつや)
1968年生まれ
現職/東北大学大学院情報科学研究科准教授
兼担/工学部建築・社会環境工学科准教授
専門/都市デザイン、景観工学
http://www.plan.civil.tohoku.ac.jp/~hirano/


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