特集 生体膜の脂質(油)のお話 青木淳賢◎文 text by Junken Aoki

脂質の三つの役割

 脂質とは油のことです。ただ、石油やガソリンなどの鉱物から取れる油は脂質とは呼ばず、動物、植物由来の油のことを意味します。 皆さんは、“脂質”といったら何を想像しますか?一般的に最も興味を引くのは栄養素としての脂質ではないでしょうか?さらに、栄養素以外の脂質の役割もあります。それぞれについて例を挙げていきます。

【脂質の役割1】 栄養素としての脂質

 私たち人間は、油を栄養素として食事から摂取します。摂取された脂質は、腸管で酵素により分解され、小腸から吸収されて栄養源として利用されます。牛霜降り肉やマグロのトロ、フォアグラ、脂のよくのった魚、バター、マヨネーズ、乳脂肪分の多いアイスクリーム、チョコレートなど、私たち人間は脂質のたっぷりと入った食品が大好きです。ダイエットの敵とは知りながらつい食べてしまいますよね。これはどうやら人間は脂質を美味しいと感じるようなしくみがあるようです。これは人間に限った話ではありません。脂質の入った水を飲ませる実験から、ラットやマウスはただの水よりも、コーンオイルやミネラルオイルを混ぜた水を好んで飲むことが判明し、少なくとも哺乳類は脂質に対して高い嗜好性を示すことが分かっています。
 また、脂質は単位重量当たりの栄養価が高いため、その取り過ぎがメタボリックシンドロームなどを引き起こすことが大きな問題となっています。同じ量の食事をしても脂っこい食事を続けるとメタボリックシンドロームの原因となってしまうのはこのためです。このように脂質は、栄養素として重要ですが、その過剰な摂取は大きな問題です。

【脂質の役割2】 細胞膜の構成成分

 一方、脂質は栄養素以外の役割も持っています。私たち生物は基本単位である細胞で構成されていますが、体の乾燥重量(水を除いた成分の重量)の数割(3~5割)は脂質です。細胞の中で、脂質はどこに存在するのでしょうか?脂肪細胞(お肉の脂身)では、脂質は細胞内の油滴に蓄えられています。しかし、このような例外を除くと脂質は、細胞膜に含まれています。細胞膜とは一つ一つの細胞を区切る仕切りのようなものであり、脂質がなければ細胞は形を作ることができません。このように、脂質は細胞膜としても重要な役割を持っています。

【脂質の役割3】 生理活生物質

 最後に脂質にはもう一つ重要な役割があります。これは、緊急時に細胞が脂質を分解して、私たちの体を守る物質を作ってくれることです。例えば、私たちの体に病原菌などが感染してしまったとき、病原菌が感染した周囲の細胞からプロスタグランジンやロイコトリエンという物質が、細胞膜の脂質から作られます。プロスタグランジンやロイコトリエンは、病原菌を退治してくれる白血球という細胞を病原菌が感染した部位に集める役割を持ちます。しかし、これらの物質は発熱や痛みを生じさせたりしてしまうことがあります。

脂質は細胞膜の必須構成成分

生理活性脂質は薬のターゲット

 風邪にかかったりすると高熱が出たり、頭痛がしますよね。こんな時、私たちは解熱・鎮痛剤を服用します。この薬は、脂質の分解物を標的にしています。高熱や痛みが出るのは、プロスタグランジンという物質が生体膜の脂質から作られるのが原因です。作られたプロスタグランジンは、細胞間のシグナル伝達物質として細胞膜の受容体に作用して機能を発揮します。アスピリンに代表される非ステロイド性抗炎症薬は、生体膜の脂質からプロスタグランジンが作られる過程を抑制することにより、薬効(薬の効き目)を表します。また、プロスタグランジンの受容体を標的とした薬を作ることが可能なのです。
 最近、このプロスタグランジンの他、生体内の脂質からさまざまなシグナル伝達物質が作られ生体内で重要な働きを持っているだけでなく、薬の標的としても重要であることが次々と分かってきています。例えば、男性ホルモン、女性ホルモンは生体膜の脂質の一種であるコレステロールから作られます。また、アトピー性皮膚炎などで使用されるステロイド性抗炎症薬は、コレステロールに類似した構造を持ちます。

リゾリン脂質による着床のメカニズム

新しい生理活性脂質の発見とその機能の追求

 私たちの研究室では、生体膜の脂質から作られるさまざまなシグナル伝達物質の研究を行っています。これまでの研究から、プロスタグランジン、ロイコトリエン、性ホルモン、ステロイドとは異なる、新しいシグナル伝達物質が発見されてきました。生体内の脂質には、リン酸という物質を含む脂質(リン脂質と呼ばれます)があります。私たちは、さまざまな生理的・病理的状況でリン脂質が分解され、“リゾリン脂質”と呼ばれる脂質が生産され、このリゾリン脂質がいろいろな役割を持っていることを明らかにしています。
 例えば、リゾリン脂質の一種であるリゾホスファチジン酸は、精子と受精した直後の卵(受精卵)がお母さんの子宮に吸着する(着床する)ために必要であることがわかっています。また、リゾホスファチジン酸は、毛根で産生され、毛根の構造の維持に重要な役割を持っています。リゾリン脂質は、特別な機構で作られ、また、特別な受容体を通じて機能を発揮します。私たちは、リゾリン脂質がどのように作られ、また、どのように機能を発揮するかを調べていますが、リゾリン脂質を作る酵素や受容体を遺伝的に欠損したヒトやマウスは赤ちゃんを産めなかったり、髪の毛が生えなかったりする病気を起こすことを見つけています。
 中でも、私たちが発見したリゾリン脂質の受容体の一つLPA3の欠損マウスは子どもを上手に生むことができません。細かく調べてみると、妊娠の各ステップの中で着床と呼ばれるステップが特異的に損なわれていることが分かりました。また、子宮におけるLPA3の量は女性ホルモンであるプロゲステロンの作用で増えることも分かりました。現在、不妊の夫婦が体外受精等の高度生殖医療により赤ちゃんを授かることが可能となりました。しかし、その成功率は非常に低いのが現状です。多くの場合、体外受精した受精卵を母体の子宮に戻したとき着床がうまくいかないことが高度生殖医療の成功率が低い原因となっています。さらに、リゾリン脂質を作り出す酵素の欠損マウスでは毛の構造に異常が生じることも分かりました。
 将来、私たちの研究が着床を改善する薬、毛根の働きを助ける薬(脱毛症治療)の開発に繋がる可能性が十分あります。また、脂質は食物の中に豊富に存在するため、着床や毛根の働きを促進する脂質を多く含む食品が見つかれば、このような食品は補助食材として注目されることは間違いないでしょう。

リゾリン脂質による育毛のメカニズム
青木 淳賢(あおきじゅんけん)
1964年生まれ
東北大学大学院薬学研究科教授
専門/脂質生物学
関連ホームページ/http://www.pharm.tohoku.ac.jp/~seika/H21/index.html

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