特集 ナノバルブと超音波を用いたがんの新しい治療の法の開発

小玉 哲也=文
text by Tetsuya Kodama
はじめに

 今年米寿の祝いを迎える私の伯母は、 逢うたびに「研究成果はどう?」と質問をしてきます。「もう少し」と返事をすると、「税金を使ってダメじゃないの!」と叱咤激励されます。
 大学に籍を置く者にとって、また医工学研究を行っている者には、研究成果は臨床に応用されるべきものであり、しかも短期間に成果を挙げないと、この伯母を代表とする国民の支持は得られません。したがって、研究の方向性や進み具合は、臨床応用に向かうタイムスケジュールの中で調整されることが必要です。
 「がん」は、1981年から日本の死亡原因の第1位です。2006年のデータ(文献参照)によれば、男性で27%、女性で16%が「がん」で死亡し、その総数はなんと33万人です!2015年には89万人が「がん」にかかると推定されています。2008年度の我が国の対がん予算は236億円であり、予算額に見合った研究成果を挙げ、「がん」に苦しむ患者を早急に救うことが求められています。
 現在、外科療法、化学療法、そして放射線療法が「がん」の3大療法とされています。この3大療法に加えて、私たちは、ナノバブルと超音波を利用した分子導入法という、新しいがん治療法の開発をめざしています。

ナノバブルと超音波を使用した分子導入法とは

 ナノとは1mm(ミリメーター)の百万分の一の大きさの単位です。光学顕微鏡では、光の空間分解能の関係から0.2(マイクロメーター、1mmの1000分の1)以下の粒子を観察することは不可能であり、一般には1以下の粒子でさえも容易に観察することは難しいのです。しかし、このナノという値に着目することで、腫瘍内で形成される新生血管を標的とした新しいがん治療法の開発が可能になります。
 腫瘍新生血管は通常の血管と異なり、直径200 nm(ナノメーター)以下の粒子が血管壁から漏出・滞留するというEPR(Enhanced Permeability and Retention)効果が確認されています。
 私たちは、脂質の皮膜で覆われ、内部にフッ化プロパンガスと薬剤を封入した「ナノ」サイズのバブル(気泡)を開発しました。これで、がん細胞に効率よく薬剤を送る方法を開発しようとしていますが、使っている脂質もナノバブル製造手法も特別なものではないため、広く応用が可能なはずです。
 このナノバブルと超音波を組み合わせることで、EPR効果で漏出・滞留するバブルを超音波で確認し、タイミングよく超音波の音圧を上げてバブルを破壊します。この際発生する衝撃圧で、腫瘍新生血管の周囲の組織の細胞膜が一時的に変化し、バブル内部に封入された薬剤が導入されやすくなるため、「がん」の治療への応用が可能となります。そのためには、超音波によって正確にナノバブルの位置を知る必要があり、超音波造影性に優れたバブルとその検出の機器の開発も同時に進めています。
 図1(A)は、マウスに乳がんを移植し、がん組織内の血管を流れるナノバブルを捉えた超音波画像で、図1(B)はナノバブルの存在が確認される腫瘍血管像です。この分子導入法では、がん組織内にナノバブルが確認される時に体外から超音波を照射することでこれらを破壊し、血管周囲の細胞に抗がん剤などを導入することで、「がん」の治療を目指すのです。
 図2はナノバブルと超音波を用いた薬剤導入法で、カルセインという蛍光分子を培養細胞に導入し、その細胞を共焦点顕微鏡で画像化したものです。図2(A)は位相差顕微鏡で見た像で、細胞の形態に異常がないことが示されていますが、この細胞にレーザー光を照射すると(図2(B) )カルセインが緑色に光り、細胞内に導入されていることがわかります。つまり、この方法では細胞にあまり損傷を与えずに、蛍光分子を導入できます。蛍光分子の代わりに抗がん剤や遺伝子を用いれば、抗がん剤治療や遺伝子治療(後述)に応用が可能なことが期待できます。

がん遺伝子治療への応用

 遺伝子治療とは、細胞や組織に遺伝子を導入して病気の治療を行う方法です。治療法の開発の鍵は、高い遺伝子導入効率、導入にともなう副作用の軽減、そして導入された遺伝子の可視化です。私たちは、ナノバブルと超音波を用いた分子導入法がこの遺伝子治療に有効ではないか、と考えています。図3(A)は本導入法で、蛍(ホタル)の発光タンパク質の遺伝子をマウスの骨格筋に導入し、4日後に特殊なカメラで見たものです。骨格筋細胞で発光遺伝子が働き、実際に発光が観察されています。このホタルの遺伝子のように、生体内での遺伝子の機能を評価するために開発された遺伝子を、レポーター遺伝子と呼びます。
 私たちは、本導入法の臨床応用を念頭に、PET(ペット)診断に利用可能なレポーター遺伝子の開発を行っています。図3(B)は臨床で使用できるレポーター遺伝子で得られた放射性ヨウ素の集積を小型動物用PETで観察したものです。現在、このレポーター遺伝子と治療用遺伝子が一体化された遺伝子の開発を進めており、これにより治療効果をPETで判断しながら治療を進めていくことが可能になります。近い将来、この方法を発展させた新しいがん治療法を提案したいと考えています。

「がん」にならないことが大切

 「がん」にかからなければ、治療の必要はありません。どんな治療でも、何らかの副作用があります。現在は、がん治療の研究を進めていますが、最終目標は「がん」の患者数をゼロにすることです。
 これまで何度か欧米で生活をする機会がありました。帰宅後に自分の服にタバコの臭いを感じた日数が年間を通して1番少なかった国はアメリカだったような気がします。タバコだけが「がん」の原因ではありませんが、自らが、あるいは社会・国家が率先して「がん」発生因子の軽減に真摯に取り組まないと「がん」を克服できないのではと考えております。今日からでも、毎日の生活を、少し見直してみませんか?

文献
がんの統計'08, 財団法人 がん研究振興財団
(http://www.fpcr.or.jp/publication/statistics.html)

図 ナノバルブと超音波を用いたがんの新しい治療の法の開発




こだま てつや こだま てつや
1963年生まれ
東北大学大学院医工学研究科 教授
専門:分子デリバリーシステム、気泡力学
http://www.ecei.tohoku.ac.jp/kodama/


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