特集|歯は動く

山本 照子=文
text by Teruko Takano-Yamamoto

 

ヒトの歯は生涯動き続けます

 歯は硬い骨の中に生えていますので、一見、じっとして動いているように見えませんが、ヒトの歯は生涯動き続けています。硬い骨の中で乳歯が出来あがり、生後半年くらいには、乳児の歯が初めて生えてきます。そして、大人の歯は六歳頃から生え始め、12〜13歳頃には永久歯が生えそろいます。そうなった後、さらに思春期以降まで、上顎骨や下顎骨の成長が続き、継続的に歯の位置は変化して行きます。そして、成人に達し、生涯が閉じるまで、歯は僅かずつ伸び、僅かずつ前へ前へと動いて行きます。
 このような現象を「生理的な歯の移動」と言いますが、これは、人が毎日、絶えず呼吸をしたり、食べ物を噛んだり、飲み込んだり、話しをしたりする生理的な口の運動と、成長や加齢による変化に対応して生じる歯並びと咬み合わせの変化です。このようにして、若い時には良い咬み合わせであったのに、徐々に受け口になってきて、それを50歳くらいになって気づいたりもするわけです。
 歯は硬い骨の中に生えていますが、その根の周りに軟らかい歯根膜という組織があり、歯の移動に関係します。ここには、骨やセメント質を生成する細胞に分化できる細胞が含まれていますが、最近、私たちはヒトのこの歯根膜細胞の中に骨、軟骨、脂肪組織そして神経組織などに分化する能力を持つ幹細胞が存在することを突き止めました。今、私たちはこの歯根膜幹細胞を用いて、歯や歯の周りの組織を再生する研究を進めています。


図1

矯正歯科治療による歯の移動

 歯並びや咬み合わせが悪いと、矯正歯科治療を行います。歯に力(矯正力という)をかけて、ゆっくりと骨の中にある歯を動かして、歯並びを治療します。図1上は、「開咬」という咬み合わせ異常で、前歯で食べ物をうまく噛みきることができません。口を閉じることも困難でした。これに対する矯正歯科治療を約2年行った結果、歯並びが改善され、食べ物もよく噛めるようになり、自然に口を閉じることも出来るようになりました(図1下)。
 しかし、治療中に患者さんには痛みが発生し、治療期間も長くかかります。私たちは 出来る限り速く治療でき、かつ痛みの少ない矯正歯科治療のための基礎的・臨床的研究をしています。

機械的刺激による骨改造の主役は骨細胞?

   骨細胞は骨の中で最も多い細胞で、1mm3 の骨中に26,000個も存在します。自由に伸びた骨細胞の突起は骨芽細胞層まで達し、複雑な細胞性ネットワークを形成しています。そのネットワークは機械的刺激を感知して適応するための重要な機能を担っていると考えられています。
 私たちは特別な顕微鏡を用いて骨細胞性ネットワークを観察しました。図2は『BONE』という専門誌の表紙を飾った写真ですが、骨の中の様子を示しています。骨芽細胞(赤い細胞)は、自ら分泌した骨基質の中に埋め込まれて成熟し、骨細胞(緑色の細胞)になり、多数の細胞突起を骨基質へと伸ばし、隣接する骨細胞や骨芽細胞と結合し、連絡しあい、細胞性ネットワークを形成して情報伝達を行うと考えられています。しかし、骨に機械的刺激がかかった場合「どのような形」で「どの細胞」に刺激が届いて骨の応答が始まっているのかは明らかではありません。私たちはこの問題に取り組みました。
 ねずみの臼歯間にゴムを挿入して歯の移動を行うと、加えられた機械的刺激により骨基質タンパク質の一つであるオステオポンチン(OPN)の発現が誘導されます。この誘導は1日目には歯槽骨の圧迫された側の骨細胞、2日目には牽引された側の骨細胞まで拡がりました。そして3日目には破骨細胞(骨を食べる細胞)の数が増加して骨吸収が活発に生じました。さらに、誘導されたOPNは破骨細胞を増やす重要な因子であることが明らかになりました(図3参照)。
 さらに、私たちは、機械的刺激に応答する主たる細胞はどれであるかを検討するため、骨に特殊処理をして純度の高い骨細胞群を単離・培養し、さらに調べました。その結果、骨細胞は骨芽細胞に比較して機械的刺激への感受性が低く、生理的状態の骨改造には積極的に関わらずにいますが、急激に起こった外界の機械的な刺激に反応するセンサーとしての役割を果たしていると考えられました。このような骨細胞科学研究は矯正歯科治療のみならず、骨粗鬆症や骨の病気の治療にも役立っています。


図2
国際学術誌Bone(2001年)の表紙
骨芽細胞(赤い細胞)は骨表面を被っている。骨の深部には
骨細胞(緑色)が多数の細胞突起を骨基質中に伸ばし、互いに細胞性ネットワークを形成し、細胞間情報伝達を行っている。
Kamioka, Takano-Yamamoto et al. Bone 2001


矯正歯科治療の痛みを軽減できる?

   歯に持続的な矯正力を加えると、患者さんは痛みや不快感を覚えます。痛みは単に感覚的なものではなく、組織に生じた、あるいは生じかかっている損傷に対する不快な感覚や情動によって起こります。また、痛みの程度は刺激の強さにより単純に決まるものではなく、主観的な不快なものとして認識され、必ずしも刺激そのものの程度を反映しているわけでもありません。歯の移動による痛みは矯正力が加わった直後のみに生じるのではなく、移動開始から数日間持続します。すなわち、矯正的な歯の移動によって生じる痛みは、すぐに起こる痛みと後で遅れてくる痛みに分類できます。しかし、矯正歯科治療に関連した痛みや不快感が脳でどのように処理されているのかは、これまでほとんど明らかにされていませんでした。
 歯の周囲にある歯根膜の神経終末には高感度のセンサーがあり、しかも治療を行う過程でますます過敏になります。従来、疼痛を軽減させる方法として、抗炎症剤や鎮痛薬を服用しましたが、非ステロイド系抗炎症剤は歯の移動速度を遅くすると報告されています。矯正歯科治療による疼痛は限局性のものが多いことから、局所的で効率よく、副作用の少ない方法で疼痛を軽減することが望ましいわけです。
 一般に組織表面吸収型の炭酸ガスレーザーは、細胞の増殖や分化を引き起こす効果があると知られており、歯の移動で生じる疼痛の軽減効果を発揮する可能性が高いことが考えられます。私たちは、矯正歯科治療におけるレーザー照射の疼痛軽減効果を見いだしました。さらに、ねずみを使った実験でも脳神経科学的研究により疼痛の軽減効果を証明しました。  こうした臨床・基礎研究を進めて、これからも人々によりよい医療を提供していきたいと願っています。


図3
歯に矯正力がかかると歯根膜の血管の透過性が高まり、単核細胞が血管から遊走してきて
骨の表面に集まってくる。これらの単核細胞は融合して破骨細胞になり、骨吸収を亢進して歯を移動させる。
OPN:オステオポンチン Terai, Takano-Yamamoto et al. J Bone Mineral Res 1999.




やまもと てるこ

1951年生まれ
東北大学大学院歯学研究科教授
専門:歯科矯正学、骨科学


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