母校東北大学は2007年6月、創立百周年を迎えます。私は財団法人東北大学研究教育振興財団の常務理事、総務・広報委員長を仰せつかり、同窓生の皆さんを中心に学内の動向などをお知らせする『樅の木』(年2回発行)の編集に当たっています。また財団が窓口となっている募金活動について、その支援も広報委員会の役割の一つと考えて、創立以来百年間にわたって国内ばかりでなく国際的に数々の貢献をしてきた「実績」をアピールしようと、新聞などのメディアを通して広報活動もしています。
その第1弾が2005年3月24日付け河北新報に掲載した、西澤潤一研究教育振興財団理事長とプロ野球東北楽天イーグルスオーナーの三木谷浩史楽天社長による対談「光通信が結ぶIT時代 独創が世界を変える」でした。研究第一主義を柱にしながら独創、かつ卓越した研究成果を社会に生かすという「実学の東北大学」も大きな特性です。「学都仙台」というネーミングが、国内はもちろん世界的に知られるようになったのは東北大学があったからです。
2004年4月に東北大学は国立大学法人となりましたが、これまでの運営形態と異なりいろいろ苦労する点があるようです。順調な軌道に乗るよう、教職員、学生、同窓生が協力し合い創立百周年を起点とし「世界と地域に開かれた研究中心大学」としてさらなる発展を願うものです。特に青葉山のゴルフ場が東北大学のキャンパスに加わることが決まりました。それをどのように活用すればいいのか。学内だけでなく、県民、市民の意見、声にも耳を傾けて国際学園都市仙台のシンボルになるような大学にしてほしいものです。
私は河北新報記者として教育学部教員養成課程分離と宮城教育大学設立、石津学長辞任、学園紛争・封鎖などがあった1960年代に6年間、東北大学内を駆け回りました。火炎瓶や投石、デモと警察機動隊の対決などさまざまなことに遭遇しました。“白い巨塔”の現実も見ました。ヘルメットを被って取材した河北新報記者第一号です。在学中は中川善之助法学部教授を部長とする東北大学新聞会で大学新聞を作っていました。30歳ほどだった西澤潤一助教授から「トランジスタ」なるものを取材したことがあります。それから50年も経て、西澤先生が理事長をしている財団でお手伝いをする役目になり、人生の面白さというか、人と人とのつながりの不可思議さを感じています。
東北大学には、素晴らしい研究業績を挙げている先生が多く、まさに多彩です。百年の歳月が積み上げた伝統がとうとうと流れています。ただし、変わっているようで変わり切れない大学の体質といったものもあります。財団のOB役員として創立百周年が成功するように私なりに役目を果たしたいと思っています。
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