シリーズ【ナノテクノロジー】2
より安全な原子力を支えるナノ材料科学
長谷川 雅幸=文
text by Masayuki Hasegawai

 現在、日本の電力の約30%以上は原子力によってまかなわれていますが、1970年代に設置された初期の原子炉は計画されていた稼働期間を終える時期に達しつつあります。実際には、これらの原子炉はまだ稼働できますが、より安全に運転していくことは何より大切です。
 ところで、原子炉の安全性に関連した材料の問題に、原子炉中心部をおおう入れ物(圧力容器といいます)が長年にわたって放射線を浴びるために、もろくなる現象があります。もろくなる主な原因は、材料の中に含まれる不純物の銅の原子が集まってできる直径1nm(ナノメートル)前後の集合体(銅ナノ粒子/図の@参照)や、材料の原子の一部が抜けてできる小さな穴(原子空孔といいます)の集合体(ナノボイド/図の@参照)が生じたためであると考えられています。ところが、両者は電子顕微鏡を使ってもなかなか観測することができない程小さいので、どのようにして生じ、成長・発達していくのかを直接確かめることが、従来はほとんど不可能でした。


 最近、私たちのグループは、世界に先駆けて、陽電子(プラスの電荷を持った電子の反粒 子)を用いれば、銅ナノ粒子やナノボイドが生ずる過程を観測できることを発見しました。この発見は世界中から注目されています。
 陽電子は、材料中では1ナノ秒も存在しつづけることができませんが、そのわずかな間に、自分の好きな場所を探しまわり、そこに捕まってしまうという奇妙な性質があります。原子空孔は陽電子の好きな場所であり、陽電子を閉じ込めることは昔から知られていましたが、私たちは、銅原子が集まってできた銅ナノ粒子の内部にも陽電子が閉じ込められることを発見しました。これは、陽電子が鉄原子よりも銅原子の方が好きなためで、陽電子量子ドット状態と呼んでいます。従って銅ナノ粒子やナノボイドがあると、陽電子は自分でそれらを探し出して、その近所にある電子の状態や密度についての情報を伝えてくれます。
 原子炉で中性子線を照射した鉄・銅合金(鉄に少量の銅を混ぜた合金試料)に陽電子を打込み、試料中の電子の運動量(重さと速度のかけ算)の分布を調べました。その結果を純鉄のものと比較してみたところ、低い運動量部分や25×10mcE は電子の質量、c は光速)付近の高い運動量部分が増していることが分かりました(図のA参照。純鉄と比べて運動量分布の高い部分が赤で示されている)。低い運動量部分が増しているのは、ナノボイドや原子空孔が生じていることを示します。一方、高い運動量部分が増しているのは、陽電子が銅原子の集まった所を検出したことによります。
 これらのことから、この材料の中では図の@に示すように、内壁が銅原子でほぼ覆われたナノボイド(原子空孔が数10個集まっている)や原子空孔でできていることがわかります。この試料を焼き鈍していくと、約400℃で低い運動量部分の山がなくなるので、ナノボイドに含まれていた原子空孔が抜けだし、ナノボイドは銅ナノ粒子に変化することがわかりました。この銅ナノ粒子は、約650℃の焼き鈍しで完全に消失します(図のA参照)。銅ナノ粒子が約2nm程度の大きさになると3次元アトムプローブという顕微鏡の一種で、ようやく観察できるようになります(図のB参照)。
 このように陽電子を用いることによって、世界で初めて、放射線にさらされた鉄鋼材料の中で銅ナノ粒子やナノボイドがどのようにできて、それをどうしたらなくなるかがわかってきました。実際に原子炉で使われている材料の研究も始めています。原子力による発電を止めることが社会的に不可能な現在、もっと安全な発電が実現するように、ナノ材料科学の立場から日夜研究しています。


はせがわ まさゆき

1944年生まれ
現職:東北大学金属材料研究所 教授
専門:材料照射理工学、陽電子消滅


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