高度経済成長政策のもとで理工系の人材養成が叫ばれた時代、狭隘化した片平キャンパスから理工系施設の移転が検討されました。第二表に青葉山エリアの主なキャンパスの動きをまとめてみました。
工学部の移転方針が決定したのは1961年のことで、その翌年には青葉山国有地の東北大学への所管替えが承認されています。1965年工学部機械系3学科と原子核工学科(1962年設置)を皮切りに、1966年電気・応物・化学工学科(1961年新設)が移転し1969年までには資源・金属・マテリアル。建築系などの移転が完了しました。1981年附属図書館工学分館が竣工し、1990年代になると、表にあるように、拡大した工学部は新たな研究科と研究施設の誕生の母体となり、文系・理工系の融合する新しい学問の創出と世界への発信、特色ある人材育成が進められました。
震災後は、震災復興事業によって多くの建物が建て直され、ゴルフ場跡地には新キャンパスが造成され、従来の工学系キャンパスの青葉山キャンパスは青葉山東キャンパス、ゴルフ場跡のキャンパスは青葉山新キャンパスとなりました。
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青葉山駅は地下6階の深さにあります。地上に出て八木山方向に走るメインストリートに沿って第二表の研究教育施設が展開するのは震災前と変わりありませんが、多くの建物が建て替えられました。
右手前に未来情報産業研究館、未来科学技術共同研究センター等の建物群が並び、左側に最初に見えてくるのが化学・バイオ系です。この玄関には村上恵一、堀省一郎両教授が1957年に開発した優れた排煙脱硫装置の一部が展示されています。
次の区画は電子情報システム・応物系ですが、一号館には「電気工学科創立から百年 活躍の軌跡」と題したギャラリーがあります。ここでは八木・宇田アンテナ、岡部マグネトロン、西澤潤一名誉教授の半導体工学、オプトエレクトニクスの開拓、岩崎俊一名誉教授の垂直磁気記録方式から田中耕一島津製作所シニアフェローまでの功績や半導体、エレクトロニクス、コンピュータ分野の歴史が展示されています。中庭には八木秀次博士の胸像もあります。
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附属図書館工学分館を通り過ぎT字路のバス通りを過ぎると機械・知能系の施設に入ります。目に飛び込んでくるのは屋外展示されている大きな火力発電用蒸気タービンロータです。1960年に東北電力仙台火力で使用された日立製のもので、機械系同窓会設立10周年を記念して2001年に設置されたものです。校舎内にはターボジェットエンジンの展示、歯車類の展示などがあります。
▲蒸気タービンロータ
メインストリートが大きく八木山に右カーブするあたりに、コンパクトな自動車の過去・未来館があり、T型、A型フォードなどが展示されています。
▲自動車の過去・未来館
また青葉記念会館1階には包摂校の仙台高等工業専門学校(1906年創立)関連史料が展示されています。
▲仙台高等工業専門学校(1906年創立)関連史料
応用化学科創立75周年記念碑、土木工学科20周年・30周年記念碑、東北大学創立百年記念植樹、同窓生の卒業記念植樹、教員の各種受賞記念植樹や量子エネルギー工学棟には量子の小径が設置されています。金属・マテリアル系では金属オブジェや光琳かきつばた図(うるし、ステンレス)などを見ることができます。
▲量子の小径 ▲人・自然・金属のモニュメント
▲光琳かきつばた図(うるし、ステンレス)