鈴木陽一 教授 (背景は川内萩ホール1/10の模型)
「川内萩ホールの響き」
満席時の残響測定実験
東北大学電気通信研究所
鈴木 陽一 教授
【実験の概要】
東北大学記念講堂(通称:川内記念講堂)は東北大学100周年記念事業のシンボルとして本格的な音楽ホール「川内萩ホール」に改修されました。電気通信研究所の鈴木陽一教授は、音響専門委員としてホールの音響設計を担当し、2008年12月に、音の響きの指標となる残響時間について、満席の状態で測定の公開実験を行いました。測定の結果、残響時間1.8秒という設計目標どおりの結果が得られました。
【川内萩ホールの音響設計への思い】
記念講堂
改修後の川内萩ホール
川内記念講堂は東北大学50周年記念として建立されたものであり、工学部電気工学科教授や電気通信研究所所長を歴任された故二村忠元名誉教授が、城戸健一、曽根敏夫(いずれも現名誉教授)らの協力のもと音響設計を担当されました、二村先生は、私にとって、修士までの指導教官であり、学問の系譜として私の先々代にあたる方になります。
この川内記念講堂は、多目的ホールとしてはたいへん豊かで優れた残響と、当時最先端の電気音響装置を備え、半世紀の間広く利用されてきました。しかし、老朽化は否めず、この度、100周年記念事業の中核事業として川内萩ホールに生まれ変わるに当たり、その音響設計に携わることができたことは、50年に一度の偶然的なめぐり合わせであって、大変光栄に感じています。
【川内萩ホールの音響設計理念】
今回の改修は、記念講堂の室内を全面的に改修したもので、外観は従来と変わりません。改修に当たって私に与えられた目標は、(1)音楽ホールとして一流の響きを有すること。(2)講演空間として良好な特性を有すること、でした。そのため、ホールの形状を全面的に変更し、一流の音楽ホールの典型的な形状である「シューボックス型」(直方体に近い靴箱型)にしました。ステージは、以前より大幅に拡張され、フルオーケストラや合唱付きの編成を可能にしました。
音は拡散して行くにつれて、そのエネルギーが小さくなっていきます。最初のエネルギーが百万分の一に減衰するまでにかかる時間を残響時間と呼んでいます。残響時間が長すぎると、音の明瞭性に欠けてしまいます。一方、短すぎると明瞭性はあるものの響きの乏しい音になってしまい音楽には向きません。様々な既存ホールのデータ等を解析し、川内萩ホールの容積に適切になるよう検討した結果1.8秒の残響時間(500Hz、満席時)を設定することにしました。また、残響の余韻や、ピアニシモの響きの質を高めるには、騒音レベルを低く抑えることが重要です。そこで、川内萩ホールは、空調や外部から侵入する騒音レベルに
ついて、音楽ホールとして最高の性能水準(NC15)を目指すことにしました。
また、川内萩ホールは、国際学会など講演空間としても用いられます。「音楽に適した豊かな残響を持ち、音声も明瞭に届ける」のは、実は、相反した要求要件です。そこで、音楽に最適化した音響としつつ、良好な講演空間を実現するため、電気音響装置の配置や指向性などの設計を入念に行って対応しました。
【竣工前の音響特性確認】
設計したホールの音について、竣工前に「聞いて確認」ができると安心です。このような作業を可聴化(auralization)といいます。川内萩ホールでは、より精緻な可聴化を可能とする新しい技術の研究を総長裁量経費により遂行し、1/10模型と、コンピュータシミュレーションを組み合わせた新しい技術(ハイブリッド可聴化技術)を開発しました。模型実験は低周波数の精度が高く、シミュレーションは高周波数が得意ですので、これらを組み合わせ、可聴帯域(20Hz〜20KHz)全域にわたる高精度な可聴化を世界で初めて実現しました。この技術を用いた可聴化の結果、川内萩ホールの改修後の音が残響時間をはじめ、設計通り高品位な特性となることが確認されました。
【公開実験による音響特性確認の決心】
川内萩ホールが8月に竣工した後、空席時の測定を行いました。その結果、残響時間や騒音レベルなど、総ての音響設計指標で、所望の音響特性が得られていることが示されました。しかし、ホールの性能は満席時で設計されており、本当に満席のときに測定しなければ正確に知ることができません。たとえば、空席時には残響時間も長めに出てしまうのです。通常は、空席時の特性から満席時の特性を推定して済ませるのですが、今回は、最終的な音響特性の確認を行うために、満席時の残響特性を実際に測定する公開実験を行う決心をしました。この規模の音響特性の公開実験は、世界的にも、過去あまり行われていない試みです。
【公開実験の大成功】
しかし、1,230余りもの座席を満席にすることは容易なことではありません。このため、音響設計についての説明と、コンサートも一緒に行うことにし、「川内萩ホールの響き」と称したイベントを企画しました。
「川内萩ホールの響き」公開実験の様子
各方面に広く募集をかけた結果、定員を超える多くの参加申し込みを得ることができました。当日を迎え実験の成否の分かれ目は「果たして満席になるのか」という一点のみとなりましたが、その心配は杞憂でした。入場券をお配りした91%の方がご来場になり、開場時間には長蛇の列ができ、最終的に約1,200名のお客様にご来場いただけました。結果、エキストラとして待機していた職員を若干名入場させるだけで、完全に満席にすることができました。
ダミーヘッド
測定に先立ち、客席には騒音計と共にダミーヘッド(人間の形をした両耳にマイクロホンを設置した装置:写真右)が7体と騒音計が5台設置され、ステージ上には、12面体形状のスピーカが置かれました。測定は、スピーカから「時間引き延ばしパルス」という低音から高音に変化する音が数分間放射され無事終えることができました。
その後の解析の結果、残響時間が目標の1.8秒(500Hz)であることが確認できました。
【川内萩ホールへの期待】
測定の後で行われたスペシャルコンサートも大好評でした、ヴァイオリンの漆原啓子氏とピアノの野平一郎氏という国内屈指の音楽家のすばらしい演奏であったことがその大きな一因です。来場者からは「一つ一つの音がよく響いていた」、「ピアニシモのような小さな音も良く届いていた。」、「久しぶりにコンサートホールの音を体感した」などの感想をいただいています。川内萩ホールの誕生は、仙台に音楽、文化の新しい発信拠点が生れたことを意味するものです。川内萩ホールが、仙台の音楽シーンの中心の一つに育ち、記念講堂でそうであった以上に末永く皆様に愛されることを願っています。
このホールの成功には、総合コーディネータの小野田泰明教授(工学研究科)らが提示した基本理念の適切さ、明解さと、阿部仁史教授(UCLA建築学科長、前工学研究科)の音響性能実現に対する深い理解と熱意が、なんといっても鍵だったように思います。今回の改修は新築に比べて、法規上、及び構造上の大きな制約を受けているという大きなハンディはあったのですが、建築設計チームの絶大な協力により、音響側からの要求はほとんど満たすことができたのです(実はこれは通常、決してあたりまえのことではないのです)。また、今回の成功は、齋藤文孝技術職員、岩谷幸雄准教授を始めとする研究室スタッフや学生諸君、そして
、竹中技研の日高孝之氏、山田祐生氏等が、音響設計とその確認に、熱意をもって貢献してくれたたまものでもあります。更に、上述の満席公開実験の成功は、これらをご協力して頂いた市民の皆様や、東北大学主催行事としてご協力くださった学内の関連の皆様の協力がなければ実現できませんでした。これらの皆様に心からの感謝を申し上げる次第です。