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Focus | 伊坂幸太郎

【小説という仕事】

  大学入学当初から友だちには内緒にして一人でこそこそ小説を書いてました。小説を書くために、単位を落として留年したところもあるんですよね。

  卒業後は、地元のソフトウエアの会社に就職して六年間サラリーマンやっていましたが、留年しているときのバイト先の人に「就職したら会社のことでたいへんだよ。ほかのことをしている余裕なんてないよ」といわれて、そういうものだろうな、と思っていました。もちろん小説を書いて食べていけたらいいなあ、とは思ってましたけれど、作家になりたいという意識はあまり強くなかったです。

  『悪党たちが目にしみる』でサントリーミステリー大賞に佳作入選したのが1996年、25歳の時だったのですが、編集者から電話をもらったときはものすごくうれしかったですね。でもその後はうまくいかなくて本格的にデビューできたのは30歳の時でした。趣味のつもりが、佳作になったせいか、デビューしなきゃっていう気持ちだけが強くなって。会社勤めはたいへんだし、もうろうとしている時期は結構あって、夜中にワープロ打ちながら眠って、また会社行って『何やってるんだろうなぁ』と思ったこともありました。

  小説を書くのは、面白い話を思いついたから聞いてもらいたい、っていう気持ちからだと思うんですよ。表現欲というか。僕は小説でしかそれが叶えられないので、朝早く起きて、会社行く前に小説書いて。結婚してからもそんな生活を続けてました。

  『オーデュボンの祈り』で新潮ミステリー倶楽部賞を受賞したのが2000年ですね。これが実質的なデビューです。初版が八千部で、あまり売れなくて、作家というのは大変だなあ、と実感しました。
  二作目の『ラッシュライフ』が発売されるまで少し時間が空いたのですが、その間に会社を辞めてしまったんです。『ラッシュライフ』の初版は、デビュー作よりもさらに少なくなりましたし、会社も辞めてしまって、どうしよう、と体調も壊してしまいました。でも、小説が書けて、本が出版されるというのはすごくうれしかった。それでちょっとずつうまくいきはじめて、という感じですね。

  取材は苦手なんです。最低限、出版社さんには恩返しのつもりでプロモーションとして雑誌の取材は受けますけど、テレビとかに出ることには抵抗がありますし、自分の知名度が上がっていくことに、戸惑いと恐怖もあるんですよね。ぜいたくな話ですが、有名になりたいわけでもないですし、小説を書いて、暮らしていければそれでいいんですよね。

  正直いつまで書けるのかという思いはあります。果たして伊坂幸太郎として出版社はいつまで本を出してくれるのか、いつまで読者はついてきてくれるのかという不安はあります。ネガティブですけど。

  作家の奥泉光さんが、どこかで、「世の中に出ている本には読み物と小説がある」と書かれていたんですけど、僕自身はその、「読み物」を書いているんだろうな、という気持ちが強いですよね。文学ではなく、エンターテインメントですし。やっぱり、「小説」と呼ぶにはおこがましい気がします。ただ、大江健三郎さんとかドストエフスキーとか、ああいう小説には憧れがあって、いつか、『小説』と呼べるものが書けたらすごいだろうな、という思いはあります。

  最近、映画化などが続いて、そのことにも少し戸惑いがあります。いろいろな人の熱意やつながりから、実現していくのですが、やっぱり、僕自身の仕事は小説を書くことなので、『映画化おめでとうございます』と言われたりすると、ちょっと複雑な気持ちになってしまうのも正直なところなんですね。映画化自体は、僕の仕事ではないですし、僕の目標とかでもないですし、そのあたりはちょっと悩んでいます。

【学生時代の思い出】

  僕は文学部ではなく、法学部出身なのですが、あまり深い意味はないんですよね(笑)。小説が好きだから文学部というのも安直かなと思ったんです。なんていう話を伊集院静さんにしたら、「俺は文学部で、悪かったな」と言われて、しまった、と思ったんですが(笑)、今では、文学部に入って文学の勉強をしていればよかったという気持ちもちょっとあります。

  しいていえば「弁護士になって弱い人を助ける」という単純なところがあって法学部を選んだのですが、法律というものはそういうものではないですし、入学してアパートを探すときに付き添ってくれた四年生から「死ぬほど勉強しないと弁護士にはなれないよ」と言われて、その時点で「弁護士は無理だ」と刷り込まれてしまいました(笑)。

  国際政治学の大西先生だったと思いますが、ガンジーの話をしていただいたのを覚えています。たぶん、あれが、『重力ピエロ』でガンジーを取り上げたことにつながったんだと思うんですよね。講義の時はノートはとっていなかったのですが、そういう風に、ちょっとした話題が作品に影響しているとは思います。知識としてではなく考え方として。

  その頃は法学部で仲のいい友だちが14、5人いて、彼らと麻雀したり、ボーリングしたり、若者にありがちな、青臭い憲法や政治の話をしていたのが一番思い出深いですね。

【同窓生に一言】

  僕にとって学生時代の仲間は財産のような気もするんですよね。生きていくのに大事なのは、結局、人の繋がりなのかなあ、とも思います。だから大学時代にそういう関係をつくるというのはとても大切だし、意味があることじゃないでしょうか。

  自分のやりたい仕事というのはなかなか見つからないとは思うんですが、ただ、どんな仕事でもきちんとやっていけば、何かは残せるようような気がします。僕のようなごく普通の人間でも小説家として本屋さんに本が並んでいるくらいですから、たぶん、誰にでも何かを残す力とかチャンスがあるんじゃないかな、と思います。

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