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思い出博物館 あの街角 | 仁田新一 教授

学生時代の思い出

映像をご覧になれます 私は昭和35年に入学しました。高校時代に3年間ボートをやっていたものですから、大学本部の全学のボート部に勧誘されました。その当時東北大学は非常に強い時代でその年の秋に行われるローマオリンピックの候補にも選ばれていました。練習も大変活発でした。ローマオリンピックと全日本選手権がちょうど重なってしまった為、全日本選手権に出るチームを仙台1高でペアを組んでいた私と長野君の二人が原動力となったチームで編成されました。

 春の合宿の為塩釜に行ったときですが、5/24の5時半頃ちょうどチリ地震津波のその日に、ローマオリンピックのクルーが練習に出て行きました。私もペアで出て行った時に急な流れに乗せられて引き返せなくなり海に出てしまいました。ローマオリンピックのクルーは早いですから急流を漕ぎきって堤防に登っていったわけです。海上保安庁の船が停泊していた岸壁のところで慌てふためいた漁師を乗せた漁船を見つけました。その漁師に津波が迫っているという状況を伝えられ、私とペアも腕に覚えはあるのですが、登るに登れずいました。

映像をご覧になれます 津波の場合は狭いところに行くに連れ波の高さが増す。ローマオリンピックのクルーは8人ですから急流を遡ることが出来ますが、私たちは2人の為遡ることが出来ません、二人で遭難しましたが何とか回避する事が出来ました。地蔵島のところにちょうどカーテンウォールのような津波が見えました。クルー達が私たちのことを考えて待っていてくれました。いろいろな偶然が重なりました。ペアが二人とも焦げる人間だったこと、判断が非常に良かったこと、ローマークルーの判断も非常に良かったこと、いくつかの偶然が重なって今私はここにいるのです。いまだに壁のような波が見えてきたりしたことを忘れられません。

 大学に行くために仙石線まで歩いて行くわけですが、その途中で遊覧船が旅館の軒先に上がっているとても凄まじい光景を見ました。それまで夢うつつ、半身半疑だで実感が湧かなかったのですがその光景を見たときに大変な津波だったのだと肌で感じました。私たちの判断が少しでも狂っていたら叩き付けられて命はなかったと思います。現在、地震や津波がクローズアップされている時代ですしそのようなことを思い出しました。

 
 

当時の食生活

映像をご覧になれます 当時は一日5食でした。朝御飯、2時間目に御飯を食べます。3時間目に生協でうどん等を食べ、昼休みは全てボートの練習をやっていました。途中で御飯を食べて終わってから御飯を食べますので一日5食になります。一回の御飯の量もどんぶりにてんこ盛りで三杯ですから一日どんぶり飯を15杯も食べていたことになります。

  大学での思いでも、合宿をしていたので近所の八百屋さんが安くしてくれたり、何よりもうれしかったのは秋刀魚がとれるシーズンになると魚市場から秋刀魚を山盛りに乗せたトラックがホロも無しに走って来るので、急カーブなどでは必ず秋刀魚を落としていくのです。その角でバケツを持って待っていたのを覚えています。運転手さんも待っているのを知っていてサービスでワザと曲がって行ったのかも知れません。いい時代でした、八百屋さんにも可愛がってもらいました。今でも時間があると寄っています。

 
当時の塩釜

 西塩釜を過ぎると、魚というか独特の匂いがしましたが、今は全然しません。中学校も塩釜でしたから、かなりの年数を塩釜で過ごしました。魚が好きなので今でも時々塩釜の市場に魚を買いにいったりします。それから、うちの家業自体も漁船をやっていましたので一際塩釜に対する思い入れが強いです。

星陵地区時代の思い出

映像をご覧になれます 全学のボートの第一線を心臓に雑音が入ると言われたことで退き、一時不登校の生徒になりました。大学に通わずに街中を遊び歩き、パチンコ屋に行ったりしていた私を友達が心配していました。当時のボート部の監督であり、元総長の石田先生に勉強をしろということで大学の心電図室という所に入れらました。そこでは世界で始めてのいろいろな機械が開発されていて、それがとても面白くなりました。

 ほとんど遊びもしないで大学三年生からは洋書を読み漁り心電図の勉強をしました。国家試験もそこで受けました。大学の最終学年である6年のときに国際学会が東京であり、そこで自ら発明した機械を英語で説明したことがありました。そういう意味で星陵地区は学生時代から世界のトップの研究に踏み込む恵まれた生活をしていました。 徹夜で洋書を読み漁ったというのがいまだにフレッシュに覚えています。付属病院の中央検査部という所で読んでいました。そこにほとんど寝泊りしていました。とても楽しかったです。

 
     
   
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