1947年(昭和22)横浜市生まれ。私立の中・高一貫校である聖光学院を経て東北大学工学部建築学科卒。在学中は混声合唱団のテノールとして活躍。早稲田大学大学院理工学研究科修了。日本のニューミュージックを代表するシンガーソングライター、歌手であり、映画の監督・制作も行うアーティスト。代表曲に『さよなら』、『言葉にできない』、『ラブ・ストーリーは突然に』、『キラキラ』など。多数の大ヒット曲を生み出す。アジアでの人気も高く、社長を務める会社名は「ファー・イースト・クラブ」。世界的な視野での音楽創造を志向。東北大学100周年記念文化貢献賞の芸術・文化部門を受賞。
生きていれば、苦しみや悲しみ、悔しさにいやでも向き合わざるを得ないときもあります。
そんなときに、たとえば、小田和正の代表曲の一つ『言葉にできない』を聴くことで、己をそっと慰め、明日へのひそやかな勇気を奮い立たせた人もきっと多いことでしょう。
若者から中高年まで幅広く愛されるシンガーソングライター小田が、卒業生である……。
東北大学にとって、このことがどれほど幸いであることか。小田の存在によって、憧れを持って東北大学や学都仙台、杜の都仙台を見つめた人も少なくないはずです。
小田の澄んだよく伸びる高い声と洗練された楽曲は、日本の音楽界において飛び抜けて都会的な魅力にあふれています。あるいは東北大学の印象と合わない、と感じるかもしれません。
しかし、小田の本質は、愚直なまでの生真面目さと飽くことのない努力の継続にあるようです。小田は、小貫信昭(おぬきのぶあき)の著書『小田和正インタビュー たしかなこと』(ソニーマガジンズ社)の中で、自分で高い基準をあらかじめ設定、それを実現するために己を厳しく律してきたと述懐。その分、他人にも厳しく求めたかも知れない、とこれまでの仕事を振り返り、次のように語っています。
《だって、“つらいなら、終わったあとは絶対楽しいよな”っていうさ。“自虐的なところには絶対成果がついてくる”っていう……、これが座右の銘だったりしてな(笑)》
さ、いかがでしょうか。まさに東北大学出身者らしい発言内容です。ストイックに困難へ正面から真っ向勝負する。小手先の要領の良さを嫌悪し排した小田の生き方が良くうかがえます。2007年(平成19)8月27日の「東北大学100周年記念式典」において、小田が「東北大学100周年記念文化貢献賞」を、「芸術・文化」部門において受賞したのはまさに適任でした。
小田は、東北大学在学中の川内キャンパスの風景の魅力を、折にふれてよく語り、文章にしています。1970年(昭和45)の工学部卒業ですから、前年の法学部卒の筆者とはほぼ同じ風景を共有していたことになります。一、二年生のための川内の教養部は、元の駐留米軍のキャンプをそのまま活用したものでした。かつては兵舎や将校宿舎であった白いペンキ塗りの一、二階建の校舎や教官室が、現在の川内公務員宿舎や宮城県美術館の敷地を含む広大でゆるやかな下り勾配のキャンパスに、ばらばらと点在しています。アメリカ軍人やその家族のためのキリスト教教会が大講義室でした。それぞれの校舎の間は芝生で、樹木がほとんど目立ちません。どこかアメリカの郊外に迷い込んだような大学構内でした。昼休みなどに芝生(手入れが悪く、すでに雑草と化していましたが)に腰を下ろすと、川辺へと下っていく河岸段丘に広がるキャンパスがどこまでも見渡せます。視線の先には広瀬川の向こう側の切り立った崖。仙台の市街があるはずのその崖の上を見上げると、北国の緑の街の、澄み切った青い空を白い雲が流れています。横浜っ子の小田は、このキャンパス風景に憧れ、東北大学受験を決意したのでした。
小田は、建築学科卒業であり、その後に早稲田大学の建築科修士課程に合格する実力とセンスの持ち主です。建築物や風景、そして自然環境に鋭い審美眼や感性を持っていることは言うまでもありません。卒業後の「川内キャンパスの景観」の変貌と実情に、小田が失望し、その問題点をしばしば指摘しているのは、私にも痛いほどに共感できます。東北大学の弱点とは、キャンパスや建物の美しさや魅力がもたらす力にあまりにも無頓着すぎたことでしょう。
ただ、最近の東北大学は、大学のイメージの重要性を意識した施策を、建物を含めさまざまな分野で急速に展開しています。新百年のこれからのキャンパス造りに期待したいと思います。
さらに、小田の大活躍が示唆するものとして、東京や首都圏出身者、いわゆる都会っ子の進学先の受け皿としての東北大学の拠点性と将来性を、ぜひ指摘したいと思います。
実は東北大学は、日本の著名総合大学の中で、立地する地域圏外からの入学者の割合がもっとも高い全国区大学です。「自宅外通学者」が全学生の約8割超。多くて4割、5割ほどの東京や首都圏、関西圏の有名大学に比べ、“親元離れした学生”比率の突出した高さが一大特長です。
ドイツには、『一つの鐘しか聴かない者は、一つの音色しか知らない』との諺があります。
指導者となる若者には、親元を離れ、異郷での勉学を勧める格言です。日本は、いま、東京一極集中が進み、東京や首都圏という一つの地域でしか暮したことのない若者が増えています。現在の日本や若者の“ひ弱さ”や閉塞感には、こんな状況が影響しているのかもしれません。
考えてみれば、米国のハーバード大学、英国のオックスフォード大学やケンブリッジ大学なども、首都などの大都会からある程度離れた距離に立地しています。東北大学のある仙台と東京は、こうした“創造を生む大学の立地の法則”に適(かな)ったまさに絶好の位置、とも言えるでしょう。
いかに多くの都会っ子を、東北大学に憧れさせ、入学させられるか。
今後の東北大学はもちろん日本の活力発揮、日本再生の隠れたキーポイントかも知れません。
小田のこれまでの生き方と見事な実績は、この重要性を雄弁に証明しています。
主な参考資料
▽『小田和正インタビュー たしかなこと』 小貫信昭著 ソニーマガジンズ社 2005年▽『緑の日々』小田和正著 東北大学出版会冊子『宙(おおぞら)』第11号エッセイコラム「γ星 世界の扉を開けて」所収 2002年▽『東北大学創立100周年記念企画 東北大学100年 学び究めて』河北新報社編集局編著 東北大学出版会 2008年▽『小田和正ドキュメント 1998-2011』文・小貫信昭 幻冬舎 2011年▽『TIME CAN’T WAIT』 小田和正著 朝日文庫 1992年