広がりゆく数学 応用数学連携フォーラムの試み

ゲームの楽しみ

 お正月の楽しみはさまざまですが、私が子供の頃は、大人も子供も一緒になって素朴なゲームに夢中になったものです。例えば、双六(すごろく)。本来の双六はちょっと違ったゲームだったようですが、サイコロを振って、出た目の数だけ進み、早くゴールした人の勝ちという簡単な遊びです。ゴール直前で振り出しに戻された涙目の子供には、サイコロを二回振ることのできる特権がありました。ところで、皆さん、サイコロを二回振るのと、一回だけ振って出た目の二倍進ませてもらうのと、選べるとしたらどちらを取りますか。
 お正月はのんびりテレビ三昧という方なら、二〇一〇年暮れにちょっと話題になったドラマ「坂の上の雲」をご覧になったかも知れません。言わずと知れた司馬遼太郎が描いた日露戦争の物語です。このくだりで思い出すのは、東郷平八郎の言葉として伝えられている「百発百中の砲一門は百発一中の砲百門にまさる」という格言です。戦い方のルールを決めて、どちらが有利か考えてみてはいかがでしょうか。

数学、それは考えて、考えて、 楽しむこと

 私は、大学で数学を教え、数学の研究を志しています。数学というと、学校の教科や選抜試験の科目としてのイメージから、どうしても嫌われ者の代名詞となりがちです。それは悲しく、残念なことです。数学は英語ではマテマティクス(mathematics)と言いますが、語源を遡ると、ギリシャ語のマテーマになるようです。それは知識とか科学を意味し、文字通りの「数の学問」とはちょっと違っています。数学の本来の姿は、「考えること」といえます。問題集を解かされるのは嫌でも、問題を作って考えることは楽しいものです。合否に関係なければ、数学の楽しみは身近にも広がっていることでしょう。

 とは言うものの、数学への誤解はなかなか根深いものがあります。数学は他の学問と違って、定説がひっくり返って過去の権威が粉砕されるような革命は起きそうにありません。例えば、三平方の定理はピタゴラスが発見して証明したと伝えられていますが、二千五百年たった今に至るまで、この定理がくつがえされたということは聞いたことがありません。数学では、ひとたび完全な証明が与えられたもの(定理)は真理となり、真理であり続けます。数学は真理を蓄積する学問です。学校の数学では、そのような蓄積の中から厳選された素晴らしい理論(考え方)を学びます。計算練習は理解の助けになりますが、計算そのものが数学ということではありません。むしろ、計算だけなら皆さんの使っているパソコンの方がはるかに高速で正確でしょう。しかし、パソコンは考えてくれません。パソコンに指示できるのは、考えることができる人間だけです。数学の研究というのは、さまざまに考えをめぐらせて新しい真理を探し出して、これまでの蓄積に新しいページを付け加える営みと言えます。だから、大概の数学者は、定理を「発見」したとは言っても、定理を「発明」したとは言わないのです。エジソンは電球を発明しましたが、ピタゴラスは三平方の定理を発明したとは言わないのです。

確率論の広がり

 サイコロや百発一中の砲のように偶然に左右される事象は確率を用いて考察します。歴史的にも確率論は賭け事の研究に始まったようです。十七世紀半ばに貴族から相談を受けた若いパスカルが、当代随一の数学者フェルマと始めた文通は有名です。その百年前、三次方程式の解の公式に名を残すカルダーノは『偶然のゲームに関する本』を著しました。ギャンブラーとして知られるカルダーノですから、相当真剣に研究したに違いありません。その後、確率論は微積分学と融合し、二十世紀に入ると時間とともに変動する偶然現象を対象とする確率過程論・確率微分方程式論として発展して、今に至っています。アポロ計画の下で、通信のノイズ除去を目指したフィルタリング理論が大きく発展しましたが、これは確率過程論に属する課題です。最近では、ウォールストリートで仕事をするなら「伊藤の公式」は必須アイテムとまで言われています。これは確率微分方程式論に属するかなり高度な数学公式です。

 私の専門は、確率論の中でも、量子確率論(Quantum Probability)という新しい分野にあります。その名が示す通り、二十世紀に大発展した量子力学における統計的な問題にルーツを持ちます。物理学との関連は当初からの研究テーマですが、最近では、そこから派生した新しい考え方を複雑ネットワーク研究に応用することに力を注いでいます。生物の進化系統樹や家系図、ウェッブサイトの相互リンク、鉄道網や電話回線網、友人関係などを、点と線だけで表して得られる図形がネットワークです。実世界のネットワークは大きく複雑です。それらの数学モデルを考えて、分類したり、生成メカニズムを探ったり、あるいはネットワーク上を移動するときの時間とか効率を評価したり、さらにはそれをコントロールすることなどが大きな研究テーマです。量子力学とは何の関係もない世界の問題なのですが、量子確率論から生まれた新しいアイデアがいろいろな形で役立つのです。ある研究テーマの下で見つかった考え方が、直接関係のない別の分野の問題に適用できて、その世界がどんどん広がってゆくところ、それは数学のもつ醍醐味の一つです。

応用数学連携フォーラムの試み

 今、数学は転換期を迎えていると思います。数学が自己充足に陥らず、他分野との研究交流の中に発展のエネルギーを求め、さらに、数学をもっと直接的に他分野の問題解決に応用する機運がこれまでになく高まっています。数学の定理として示された美しい配列を実験家に提案して、化学合成の実現可能性を探る研究など新しい動きが出てきています。複雑化する現代社会の中で私たちが直面するさまざまな問題の解決のためには、諸分野の連携や協同が必要であることは皆が認めていますが、その中にあって数学の果たす役割にも高い期待が寄せられてきています。数学は科学の共通言語とも言われます。個別の問題に対して作った数学モデルが別の問題に応用され、そこに見出された共通の構造が普遍的な理論に発展するような柔軟性は数学の特徴です。

 私たちは、二〇〇七年に応用数学連携フォーラムを立ち上げて、数学と諸分野の研究者同士がさまざまな垣根を超えて連携するための活動をしています。例えば、さまざまな分野の方々が気楽に参加できる出会いの場として、公開のワークショップを開催しています。東北大学は「世界リーディング・ユニバーシティへの挑戦」を掲げ、それに寄与することが期待される研究プロジェクトを「重点戦略支援プログラム」として選定し、二〇一〇年度より支援を開始しました。応用数学連携フォーラムが提案した「数学をコアとするスマート・イノベーション融合研究共通基盤の構築と展開」はその一つとして順調に滑り出しています。材料・生命・情報コミュニケーション・社会・環境などに関連した数学研究の新しい流れを気鋭の若手研究者とともに作ってまいります。今後の活動にご期待ください。

 

尾畑 伸明(おばた のぶあき)

尾畑 伸明(おばた のぶあき)
1957年生まれ
現職/東北大学大学院情報科学研究科 教授
   応用数学連携フォーラム代表
専門/数学
関連HP/研究活動の内容はこちらをご覧ください。
◇個人
http://www.math.is.tohoku.ac.jp/~obata/
◇応用数学連携フォーラム
http://www.dais.is.tohoku.ac.jp/~amf/
◇数学をコアとするスマート・イノベーション
 融合研究共通基盤の構築と展開
http://www.dais.is.tohoku.ac.jp/~smart/

ページの先頭へ戻る