女と男の脳はどう違うのか―脳の性差を究める―

山元 大輔=文
text by Daisuke Yamamoto

 

心の男女差と脳の性差

 女と男は別の動物、などと申します。妻が左と言えば夫は右といい、彼女が「ワーおいしい」と言えば彼氏は、”どこが??“ と思いながら「おいしいね」と言ってやり過ごす、そんな世間に私たちは暮らしております。確かに、ものごとの捉え方、感じ方には、男女で差があるような気がしますね。
 こうした”心“の性差は、心を生む器官である脳の性差に根ざしているはずです。実際、脳内の数カ所に、”見てわかる“ほどの男女差があることが繰り返し確認されています。
 脳の中の視床下部には、男女で大きさや形の違う部分がいくつも見つかっています。これは脳の中心の下部(底)にあり、さまざまな本能を司る中枢です。そして、担当する本能の種類に対応して、視床下部がさらに細かい部位に分かれています。こうした部位は、それぞれたくさんの神経細胞がぎっしりと寄り集まって出来ていて、”神経核“とよばれる構造を作っています。神経核ごとに、名前が付けられているのです。

同性愛と脳

 ところで性行動に性差があるのはあまりにも当たり前で、普段は気にも留めていませんが、考えてみれば不思議なことです。なぜ、多くの男性は女性を恋愛の対象とし、多くの女性は男性を恋愛の対象とするのでしょうか。そして実は、全人口の5%程度の人は、異性でなく同性に惹かれるという事実があります。多くの人が自然と異性に惹かれるように、一部の人は自然と同性に惹かれるのです。
 異性に惹かれるか、同性に惹かれるか、この自然な好みを「性指向性」といいます。視床下部には先ほど述べたように男女差のある神経核がいくつかあります。そのうちの一部には、男女差ばかりでなく、性指向性によって差があることが知られています。例えば、間質第三核という神経核は、異性愛男性では女性よりも2.5倍ほど大きいのですが、同性愛男性では女性と同程度の大きさであると報告されているのです。
 しかし、ヒト(生物学の研究で一生物として扱う時には「人」ではなく「ヒト」と書きます)では実験ができませんから、面白い現象が見つかっても、その原因、仕組みの解明をすることは容易ではありません。そこで、動物実験ということになります。

「ショウジョウバエに見つかった雄雌で形の違う脳細胞」

ショウジョウバエの同性愛突然変異体「サトリ」

 私たちは、キイロショウジョウバエという体長わずか2o程度の昆虫を実験材料にして、遺伝子と脳、そして行動の関係を研究してきました。キイロショウジョウバエは、遺伝学の世界ではスーパースター的な存在で、これまでに多くの新発見がこの生物を使ってなされてきました。  私たちは十数年前、雄が雌に全く興味を示さず、求愛も交尾もしない突然変異体を発見しました。当初、性欲を失ったものと思い、この突然変異体に”サトリ“の名を与えたのです。ところがその後詳しく研究した結果、驚くべきことがわかりました。サトリ突然変異体の雄は確かに雌にはまるで関心を示しませんが、他の雄に対してはしっかり求愛するのです。つまり、サトリは、同性愛突然変異体だったのです。
 サトリで突然変異を起こしている遺伝子は、本来ハエを異性愛にする働きをしていて、これが壊されたために同性愛になった、そう考えられるわけです。そこでこの変異を起こした遺伝子を試験管の中に取り出し、増やした上で、その塩基配列を読んでみました。つまり、遺伝暗号を解読したわけです。こうして、ハエの性指向性を決定する遺伝子の本性が突き止められました。解読した遺伝暗号から、問題の遺伝子(フルートレスという名の遺伝子)は”性の切り替えスイッチ“として働くタンパク質の設計図となっていることがわかりました。そのフルートレスタンパク質は、雄(性染色体の組み合わせがXY)の神経系にだけあって雌(XX)にはないことがわかりました。
 この事実から、こんな仮説が考えられます。フルートレスタンパク質を合成した神経細胞は雄の性質を獲得し、フルートレスタンパク質を持たない神経細胞は雌の性質を獲得する、という仮説です。実際、遺伝子を操作して、雌の神経系に本来ないはずのフルートレスタンパク質を合成させると、その雌はまるで自分が雄であるかのように他の雌に向かって求愛するようになりました。このように、フルートレスタンパク質の設計図となる遺伝子たった一つを操作するだけで、行動の性転換を惹き起こすことが出来たのです。

脳の性差は細胞の死によって作られる

 それではいったい、脳のどこがどのようにかわると、行動の性転換につながるのでしょうか。遺伝子は必要なところでだけ読み取られ、その情報をもとにタンパク質が作られます。ですから、フルートレス遺伝子が読み取られている細胞に、性差が見つかるのではないかと期待できるでしょう。私たちはフルートレス遺伝子が読み取られている細胞だけが緑の蛍光を発するよう、ショウジョウバエに細工をしました。この”緑の細胞“に雌雄差がないかどうか、徹底的に調べました。その結果、 ”mAL“という神経核に、歴然とした性差があることを発見しました。mALを形作っている細胞の数が雄では30個、雌では5個であり、しかもそれらの神経細胞が伸ばす突起の形は雌雄で全く異なっていました。雄では右脳と左脳の両方に突起が伸びるのに対して、雌では左右の一方にしか突起が伸びていないのです。
 なぜ、こんな違いが生まれるのでしょうか。雄と雌とで数が違っていることから、雄でたくさん細胞が作られるという可能性と、雌で一部の細胞が死んでいるという可能性とが考えられます。試しに、細胞の死を惹き起こす遺伝子を取り除いてみたところ、雌にも30個近い神経細胞が出来ました。つまり、雌では積極的に細胞の死を惹き起こすことで、mALを5個に減らしていたのです。そして細胞死を人工的に止めた結果、余分に雌に出来てきた神経細胞は、まるで雄であるかのように、体の両側に突起を伸ばしていたのです。
 このことから、放っておけば雄型の突起を伸ばすはずの神経細胞を、雌では細胞死に追いやることで取り除き、雌型の脳をつくっていることがわかります。雄では、フルートレスタンパク質がこの細胞死を抑え、雄型の脳を作るのです。

違いを認めあうことからお互いの理解が始まる

 こうして脳の性差の実像とそれが作られる仕組みが解明されたのです。果たして、人間の脳の性差もこのような仕組みで生み出されるのでしょうか。その結果として、女性を好きになるか、男性を好きになるかが決まってくるのでしょうか。それは今後の課題として残されています。
 少なくとも、男女の脳を違うものへと作り上げる遺伝子の仕組みはヒトにも存在し、それが心の性を生み出して、潤いある人生のスパイスを与えてくれていることは確かでしょう。お互いの違いを知るところから、男女の豊かな交歓は始まるのです。
 


佐藤 靖史

やまもと だいすけ

1954年生まれ
東北大学大学院生命科学研究科教授
兼 同大理学部生物学科教授
専門:行動遺伝学
http://www.lifesci.tohoku.ac.jp/teacher/neuro/t_yamamoto.html


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