固液界面反応の
 アトムプロセスの解明とその応用
板谷 謹悟=文
text by Kingo Itaya

固液とは

 私たちの身の回りの固体、溶液および気体は、お互いに接しあっています。異なった相が接しあっている面を「界面」と呼びます。例えば、コップの水の表面は空気と接していて、そこには「気液界面」が存在しています。コップの外側は空気と接していてそこには「固気界面」が、コップの内側は水と接していてそこには「固液界面」が存在します。
 界面の中でも固液界面は、特に重要な化学反応の場であります。例えば、電気化学やコロイド・界面化学といった学問は、固液界面で起こる化学的な現象を扱う分野といってもよいでしょう。液中触媒反応も、固液界面反応を制御して必要物質だけを効率よく得ることが目的であります。腐食も固液界面反応であり、この反応速度を減少させると防食が可能になります。液相結晶成長や各種表面処理とは、つまるところ固液界面で原子を付け加えたり削り取ったりする技術であります。それだけに、固液界面反応のアトムプロセスを研究することは重要です。さらには生体細胞膜も、細胞の内部と外部とで物質やエネルギーのやりとりをする出入り口の役目を持つ固液界面であります。
 固体も液体も原子や分子からなっています。固液界面で起こる反応の本質を理解し制御しようとすると、原子・分子レベルでの固液界面に関する知識が必要不可欠であります。しかし、固液界面を直接観察する手段は確立していませんでした。固液界面の探求は、いわば手探りで進められていましたが、こうした状況を打破する新技術の出現が強く望まれていました。

液中走査トンネル顕微鏡

 1982年にビニッヒとローラーにより走査型トンネル顕微鏡(STM)という、超高分解能顕微鏡が発明されました。STMの簡単な原理は図1に示しました。金属の探針と伝導性の固体試料との間に一V程度の電圧をかけます。探針の先端と試料表面との距離を一ナノメートル程度にすると、両者は離れているにもかかわらず、1ナノアンペア程度の「トンネル電流」が流れます。このトンネル電流をモニターしながら探針の先端を表面の極近傍で左右に走査することで、表面の原子レベルの凹凸がディスプレー上に観測されます。当初のSTMは、真空中でのみ動作可能であると考えられていました。
 私は、このSTMという手法を固液界面へと適用しようと、1986年より研究を開始しました。
 新しい装置の発明以来この新手法を用いることにより、固液界面の構造、さらには、そこで起こる電気化学反応を中心とする広義の化学反応が原子・分子のレベルで次々と解明されてきました。

固液界面で観測される表面の原子

 金属および半導体の表面は汚れやすく、不純物の吸着していない表面はこれまで真空中でのみ得られるものと考えられていました。しかしながら、液中STMは、この考えを覆しました。図2は硫酸溶液中で測定されたPt表面のSTM像であります。この表面は原子の配列の仕方により「Pt(111)」と呼ばれます。図の中央に位置する丸い領域の内部や外部は原子レベルで平坦であり、この平坦な領域では白い点が観測されます。0.02ナノメートルの凹凸として観測されました。表面にはPt原子のみが観測され、不純物の吸着はいっさいありませんでした。
 図2に示した結果は、原子レベルで「固液界面」を解明する出発点となりました。現在では水溶液中でPtのように原子的に平滑な表面がAu、Ag、Cu、Rh、Pd、Ir、Ni、Coなど多くの金属電極上で確認されています。さらには、Si、GaAs、ZnOといった半導体電極上においても原子レベルで平滑な表面が水溶液中で確認されるようになっています。

有機分子の化学吸着構造

 多くの重要な触媒反応は固液界面での反応であり、有機分子の吸着挙動が反応を律する因子となっています。さらに、有機分子はメッキや防食においても、本質的な役割を果たしています。そのため、金属表面における分子の吸着は、長年にわたる重要な問題でありました。
 私どもは、図2のように表面の原子が三回対称で配列した清浄Pt(111)およびRh(111)面に吸着したベンゼンの、溶液中でのSTM測定に世界で初めて成功しました。図3はRh(111)面上に吸着したベンゼン分子の高解像度STMを示します。電気化学的な電流の流れない電位全域で、ベンゼンは図3(a)に示すような四角い格子をなして吸着しました。また、電位を負にすると、部分的にベンゼンが脱離し、図3(b)に示すように3回対称の格子をなした構造へと変化しました。不思議なことに六角形であるはずのベンゼンが図3(a)ではダンベル型の2つの点として観察され、図3(b)では三つのRh原子の中心に吸着しています。このようにしてRh原子の異なった場所の影響を強く受けます。このことによってRh原子の異なった場所に吸着したベンゼンの電子状態が変化し、この違いがSTMによって異なった形に可視化されたのであります。
 現在ではベンゼン以外にもキノン類やトルエン類、さらには多環芳香族分子、あるいは、 生体関連物質であるポルフィリンなどの研究が進んでいます。

今後の展望

 私どもによって明らかにされた固液界面の諸現象は、上記分野の他に金属表面の構造相転移、金属のメッキ過程、各種金属や半導表面のエッチング過程、化合物半導体の電解合成など、基礎から応用までの幅広い領域にわたっています。
 液中STMの開発により、これまで原子レベルでの直接観察が不可能であった固液界面で起こる化学反応、あるいは外部電位制御された電気化学反応の全容を実空間的に原子・分子レベルで観測できる状況が出現しました。
 固液界面で起こるアトムプロセスの理解は物理と化学の重要な接点であり、学術的にも工業的にも大変重要であります。原子・分子レベルでの固液界面の探求は、今後、関連する多くの分野に革新的な状況をもたらし、ナノテクノロジーをはじめとする新しい科学技術の大きな柱に成長するものと思われます。


いたや きんご

1948年生まれ
現職:東北大学大学院工学研究科 教授
   (平成15年秋の紫綬褒章受章)
専門:電気化学・表面科学・
   走査型トンネル顕微鏡・電極触媒
http://www.che.tohoku.ac.jp/~atom/



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