「国際裁判と私達の生活」
−千葉すず選手からマグロまで−

植木俊哉=文
text by Toshiya Ueki

 シドニー五輪を前に、日本では千葉すず選手が日本代表選考漏れを不服としてスポーツ仲裁裁判所へ提訴し、今年8月3日に同裁判所が下した裁定はマスコミの大きな注目を集めました。この事例は、日本国内での日本水泳連盟と千葉選手との間の五輪代表選考をめぐる紛争が、国際的な裁判機関の判断に委ねられたものです。国際裁判と聞くと、私たちの日常生活とは遠くかけ離れた印象が強いかもしれません。しかし、最近では私たちの身近な問題の多くが、国際裁判によって決着をみています。
 たとえば、日本人は寿司や刺身をよく食べますが、その中でも日本人の大好物にマグロがあります。世界中のマグロのほとんどは日本人の胃袋に収まるために漁獲されていますが、このマグロをめぐって、最近日本政府は国際裁判の被告という立場に立たされることになりました。
 昨年6月、オーストラリアとニュージーランドは、日本が南太平洋で行っている刺身用高級魚であるミナミマグロの調査漁獲が違法だとして、その差止めを求めて国際仲裁裁判を提起したのです。昨年8月、国際海洋法裁判所は日本に対して調査漁獲の中止を命じる仮保全命令を下し、日本は暫定的に敗訴しました。ところが、今年8月4日、奇しくも千葉選手についての裁定が下された翌日、仲裁裁判の管轄権を否定する日本政府の主張を認める判決が下され、日本はいわば逆転勝訴したのです。
 また最近では、国際的な貿易紛争に関して、世界貿易機関(WTO)の小委員会(パネル)と上級委員会の下す決定が、裁判の判決に類似した法的効果を持つものとして重要になっています。WTOとその前身であるガットは、日本にもコメ等の農産物の輸入自由化などで大きな影響を与えました。最近では日米間・日欧間などの貿易紛争が、外交交渉の結果としての「政治的」妥協によってではなく、WTOの小委員会と上級委員会の下した「法的」決定によって決着する事例が増えてきています。



 ところで、国家間の訴訟を処理する国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)は、国連での選挙で選ばれた15名の裁判官から構成されますが、日本からは東北大学の名誉教授である小田滋先生が3選されており、先にも触れた国家間の海洋紛争を裁く国際海洋法裁判所(ドイツ・ハンブルク)ではやはり本学の名誉教授である山本草二先生が裁判官に当選されています。世界を代表する2つの国際裁判所の裁判官を1つの大学の関係者がともに占めるという例は、日本国内はもちろん世界的にも非常に稀であり、この分野での東北大学に対する世界的評価を裏づけるものと考えられます。
 国境を越えたグローバルな活動が当たり前のものとなった今日、国際的なルールに基づいて国境を越えた紛争を法的に決着させる国際裁判の重要性はますます高まっています。「裁判沙汰」を避けることが美徳とされてきた日本でも、国際裁判とその基礎となる国際法に関する研究を今後さらに発展させていく必要があるといえましょう。





うえき としや
1960 年生まれ
現職:東北大学大学院法学研究科教授
専門:国際法