この碑の由来は裏面に端的に記されています。碑文にとられた「散りにし花は幻か…」は1940(昭和15)年、創立第34周年記念明善寮祭歌(作詞・螺良四郎、作曲・千葉和郎)の一節です。
この碑は1987(昭和62)年4月東北大学三神峯明善寮有朋会大コンパの席上「丘に我らの記念碑を」として設立が決定されたものです。二高の100周年記念「涅槃の碑」(1986年建立)より早い1983(昭和58)年頃すでに有朋会の中に記念碑建設の声があったようです。「東北大学三神峯明善寮懐旧の碑-発案から完成までの記録」(寮碑設立委員会事務局)によると建設の話が持ち上がったのは1978(昭和58)年となっています。しかし、1978年は和暦で昭和53年ですから、全体の記述から見てちょっと遡り過ぎとなります。昭和58年は西暦1983年なのでこちらが正しいのではないかと推察します。大コンパのあと三神峯公園の花見に出かけたグループから、仙台陸軍幼年学校の碑(「剛健雄大」(偶然、二高の精神と同じ)を目にして、この地に設立の念を強くした人たちがあったようです。「モタモタしているうちに」二高の「涅槃の碑」が建立され、この丘に碑がないのは明善寮だけということで、1987年の正式決定にいたったわけです。二高尚志会の助言もあり建設へと具体化しますが、碑文、揮毫、説明文、設計、石選定等全てを有朋会のメンバーが自前で行い、しかも碑文には個人名を記載しないという申し合わせをしています.碑文の揮毫の原案では良寛の書に似せ、寮の壁の落書き調をもとに検討されたといいます。なんとなくその趣が残されています。
※「裏面」の文章はクリックすると大きくなります(別ウィンドウ)。
1.散りにし花は幻か わが若き日の夢なるか
友よ憂の根を秘めつ すぎ行く春を惜まなむ
2.永遠の命を慕ひつつ 朝霧こむるみちのくに
清き流れを訪ひくれば 光たゆとふ夏の空
3.あゝむせび泣く小夜嵐 野末の露に乱る穂に
有情の遊子さすらひの 心し思ふ秋のくれ
4.時じく降れる雪の夜に わが魂は神のなす
しじまの中にさまよひて 求めし声よ今いづこ
5.苦く悲しく寂しかり 三年なりしが移ろひの
時の丘辺に佇めば わが思ひでは美しき
6.望あこがれいだきつゝ この天地に涙つゝ
あゝ逍遥に過ぎし身ぞ わが青春の姿なれ