東北大学メールマガジン
東北大学・東北大学全学同窓会
東北大学研究教育振興財団
ポイント
TOP >The 100th anniversary 東北大学アーカイブス
ポイント
東北大学風景
トップページ
特集
ニュース
Focus
100th anniversary 東北大学アーカイブス
編集後記
メルマガ会員登録情報の変更
お問い合わせ先
東北大学100周年記念セミナー
The 100th anniversary 東北大学アーカイブス

 

「ニールス・ボーア博士の見た東北大学」

 

 20世紀初頭に登場した、相対論と量子論という二つの物理学理論は、学問の世界を遙かに超えて、現代人の生活文化や政治・社会に極めて大きな影響を及ぼしました。この革命的理論誕生に主導的な役割を果たしたのが、A.アインシュタイン(1879-1955)とニールス・ボーア(1885-1962)という二人の科学者でした。アインシュタインについては今更説明の必要もないと思いますが、ボーアもまた、原子及び原子核物理学に関する重要な研究を行い量子力学の確立に大きな役割を果たした巨人です。量子力学の解釈をめぐるアインシュタインとの激烈な論争はよく知られており、また核兵器開発をめぐる国際競争の激化に強い警鐘を鳴らし大国の間を奔走したことも知られています。

  アインシュタインは大正11年(1922)に仙台を訪れましたが、ボーアもまた、昭和12年(1937)に学会と講演旅行のため米国、日本、中国、ソ連の四カ国を歴訪しました。仙台には東京での講演会の後5月2日に到着し、翌3日午前中に大学を訪れ、午後には市内で「原子核に就いて」という題での講演を行っています。  講演後、ボーア博士玉沢横丁(広瀬通の一番町付近の旧称)の骨董屋に立ち寄り、松島で一泊の後帰京しました。その後は京都・大阪での講演を経て中国に向かっています。

 左の写真は、この博士の来学時に撮影された記念写真。前列右から3人目がボーア博士、左隣の夫人を挟んで本多光太郎(1870〜1959)が写っています。右端には、かつてボーアの研究所で留学生活を送り、今回は通訳と案内役を兼ねて来仙した国際的物理学者・仁科芳雄(1890-1951)がいます。そして仁科の左隣にいるのは、やはりかつてボーアの研究所で留学生活を送った本学金属材料研究所教授・青山新一(1882-1959)です。科学者の国際交流を重視したボーアは、彼が所長をつとめたコペンハーゲン大学理論物理学研究所に世界各国の研究者を迎え入れ、自由闊達な議論による共同研究で現代物理学の基礎をなす重要な研究成果を次々と産み出していたのです。その学風は、「コペンハーゲン精神」と称され、世界中の物理学者の憧れの的でした。

 さて、このボーア博士の来学時の貴重な記録映画が、今も東北大学史料館に残されています。これは現在知られる限り、本学の様子を映した最も古い動画記録です。映画では、当時総長であった本多光太郎らの案内で金研や理学部を見学する博士の様子が記録されています。金研や理学部で東北帝大の教授たちが研究内容の説明をする様子、あるいは博士を待ち受ける学生たちの様子などが、当時の片平キャンパスの風景とともに、戦前期の東北大学のすがたを私たちに教えてくれます。長い間保存庫に眠っていたこのフィルムは、20世紀を代表する科学者に関する映像記録として、また戦前期東北帝国大学の学問環境とそこで行われた国際的な学術交流に関する記録として、極めて貴重なものといえるでしょう。
  20世紀を代表する科学者の眼に東北大学の姿は、そして「学都」仙台の姿は、どのように映っていたのでしょうか。

 

資料提供 東北大学史料館
(解説:永田英明 東北大学学術資源研究公開センター史料館)

 
   
 
ムービーを表示するにはMacromedia Flash Playerが必要です。左のボタンからプレイヤーをインストールしましょう!
 
   
TOP
 
   
Copyright 2005-2007 Tohoku University. All rights reserved.