多彩なリテラシー3 日本の文化を支えた真名の世界
「大塔物語」

東北大学附属図書館狩野文庫蔵『大塔物語』
文正元年(1466)に書写した旨の奥書のある本を模刻した嘉永四年(1851)の版本
撮影:高橋由貴

 日本に漢字が伝来し定着した後、平安時代に仮名(かな)(平仮名と片仮名)が作られると、漢字は真名(まな)と呼ばれました。真名とは本来の正式の字、一方の仮名は仮に作られた字という意味です。平安時代以降のリテラシー(読むこと、書くこと)においては、真名の読み書きが重んじられ、その学びは、学校のない環境の中でも維持されて、文化の基盤を支えていました。が、今日の私たちからすると不思議な言葉も学んでいました。それをもの語る書物は多く、『庭訓往来』(ていきんおうらい)等の往来物はその代表ですが、表紙に本文を掲げた室町時代の軍記『大塔物語』(おおとうものがたり)(作者未詳)もその典型例です。
 表紙の写真にも、「」(ドンブト) 「辷」(タフシ)「」(コロボシ)「」(ハギ) 「」(ハヒ)「 凸 」(ナカタカキ)「 凹 」(ナカクボキ)「由良々々」(ユラユラト)「飛良々々」(ヒラヒラト) 「 頡 」(ヲドリコヘ)「 頑 」(ハネコヘ)などといった特徴ある言葉が見られます。『大塔物語』には、他にも「真深茂」(マツシグラニ)「驫々」(ヒウヒウト)「 」(ザンブト)「」(ヤツシ)「惟谷」(ココニキハマル)等 々の言葉も現れますが、いずれも室町時代のリテラシーに深く溶け込んでいたものです。こうした一見不思議な言葉に、真名をめぐるリテラシーの豊かな伝統と、往時の学びの場の叡智や熱意、技術がよく現れています。『大塔物語』は、そうした言葉を用いて、応永七年(一四〇〇)に信濃国(今の長野県)で起こった信州大塔合戦という戦いの経緯を切実な思いをこめて記し、後世に伝えようとしたのです。ここにも、言葉の力、学問の力がたくましく息づいています。

東北大学文学研究科教授
佐倉 由泰


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