がんの兵糧攻めを究める

岡 芳知=文
text by Yoshitomo Oka

 

糖尿病・肥満の現状

 糖尿病は増えています。2002年の調査では、糖尿病患者740万人、糖尿病予備軍880万人と報告されています。糖尿病は全身が傷む病気です。糖尿病は血液中の糖が多すぎる病気ですが、年余の末に全身の血管が傷んでくる病気だということをご存じですか。
 眼の神経に栄養を送る血管が傷むために視力を失う人が毎年3000人以上にのぼります。腎臓は血液を濾す働きをしているので、血管が集まっています。この血管が傷むために腎不全になり、人工腎臓とも言うべき器械で血液を濾す血液透析を年間13000以上の人が始めています。糖尿病の増加は何もわが国に限ったことではありません。世界中で、それも生活が豊かになった国で爆発的に増えているのです。
 肥満も大きな問題となってきました。わが国でも、特に小学生、中学生での肥満が増えてきていることは、将来の深刻さをうかがわせます。

私たちの体質は現代生活に合わない

 どうして糖尿病や肥満は増えているのでしょうか。運動不足、過食などの便利で快適な現代生活が糖尿病や肥満を増やしているのは確かですが、人類が長い飢餓の時代を生き延びてきた歴史とも関わるらしいのです。私たちの祖先は、何十万年もの間、しばしば来る飢餓の時期を耐えしのんできたのです。肥満している方が飢餓の時には生き延びるチャンスが増えます。その末裔が私たちですから、私たちは太りやすい体質をもっています。
 血液中の糖を血糖といいますが、これが多すぎるのが糖尿病だと書きました。しかし、血糖が少なくなる低血糖の方が狩猟採集生活では重大です。食べ物を探して動きまわる時には血液中の糖を使い続けるので、血糖は減り続けます。あまり血糖が下がると意識を失って動けなくなります。これは死を意味します。ですから、私たちの体には、血糖を上げようとする仕組みがいくつもあるのです。
 地球上には私たちだけではなくて多くの生物がいますが、いつもエネルギー過多となっている生物はこの地球上で先進国と呼ばれている国の人だけだということに気がつきます。みなさん、地球上の生物のなかで私たちだけがいかに変わった生活をしているかに気がつかれましたか?

過栄養を扱う医学の必要性

 医学は人の病気を治すため、予防するためにあります。これまで、栄養不足のために起こる病気についての医学は非常に進歩してきました。ところが最近、糖分や脂肪を摂り過ぎる、蛋白質も摂り過ぎる、必要な運動をしない、となると体に何が起こるかという、過栄養を研究する医学が必要となってきたのです。私は、これを栄養不足から過栄養の医学へのパラダイムシフトと呼んでいます。

肥満・糖尿病患者さんの治療の実際

 私たちのチームは、医学研究を進めると共に、病院では糖尿病代謝科の医師として、外来および入院病棟で糖尿病や肥満、高脂血症(血液中の脂肪が多い)の患者さんの診療にあたっています。
 これらの患者さんでは、血糖値などの状態、体の痛み具合の状態(例えば腎臓や心臓はどのくらい傷んでいるか)を評価して、治療法を選択していきますが、治療の基本になるのは、食事療法と運動療法です。すなわち、必要とされるカロリーと栄養素を摂り、臓器を傷めない運動をできるだけする、ということになります。薬だけでは、何年にもわたるよい体の状態は続けられないのです。
 食事・運動療法は、ずっと続けなければなりません。1〜2日ならほとんどの人ができるでしょう。しかし、1年、10年となると、その困難さが理解できると思います。守れない人もたくさんいます。

過栄養への新たな治療法の開発を目指して

 何とか、現在の治療法を超えるものはないか。エネルギー摂取を制限するのではなく、体のエネルギー消費を高めることで過栄養にならないようにはできないか。私たちの研究チームは、このような過栄養への新たな対処法の開発をめざして、肥満・糖尿病のモデルとなる動物を用いて研究を進めることにしました。
 マウスに脂肪の多い食事(高脂肪食)を4週間与えると、ガツガツ食べて肥満した糖尿病のマウスになります。そのマウスの肝臓でエネルギー消費を高めるUCP1という蛋白質を増やす操作をすると、肝臓に溜まっていた脂肪が減りました。肝臓でエネルギーがそれまでよりも多く使われるようになったのですから、これは予想通りです。
 しかし、肝臓以外のところでも、肥満や糖尿病を改善することが起こりました。脂肪組織のなかの脂肪が減りました。肥満が改善されたのです。また、筋肉が糖をうまく処理するようになりました。さらにおもしろいことに、ガツガツ食べなくなったのです。過食の改善です。血糖値も改善し、糖尿病がよくなりました。このように、肝臓のエネルギー代謝を高めると、その情報が脳や筋肉や脂肪組織に伝わることがわかりました。

新たな臓器間代謝情報ネットワークの発見

 さらに研究を進めて、脳、肝臓、脂肪、筋肉といった臓器の間で、それまで知られていなかった代謝情報ネットワークがあることを見つけ出しました。図でご説明しましょう。内臓脂肪の代謝を高めると、その情報は神経を介して脳まで伝えられます(緑)。脳はこれに反応して、ガツガツ食べていたのをやめます。いわば、内臓脂肪に食欲ブレーキが内蔵されているようなものです。それに加えて、内臓脂肪から血液中に高血糖を改善する因子を放出します(赤)。これらの結果として、肥満と糖尿病の改善がみられます。
 肝臓の代謝情報も神経を介して脳に伝わることを見出しました。肝臓に脂肪を貯めこませると、迷走神経を介して脳に情報が伝わり(青)、脳は交感神経の働きを強めて、体の基礎代謝を高め、脂肪組織に痩せろというシグナルを発します(青)。肝臓は血液中にも血糖を改善する因子を放出します(赤)。その結果、肥満と糖尿病が改善します。これらの研究成果は、『サイエンス』や『セルメタボリズム』という評価の高い学術誌に掲載され、新聞紙上でも取り上げられました。

おわりに

 私たちが見出した、これらの代謝情報臓器間ネットワークは、過栄養時における体内に内在している恒常性維持機構と思われます。そして、この破綻が、肥満・糖尿病や最近よく取り上げられるメタボリックシンドロームの発症につながると考えられます。そこで、この代謝情報臓器間ネットワークがどんな物質によって介在されているのかを明らかにできると、私たちの体におけるエネルギー・糖代謝の恒常性がどう維持されているかについての新しい仕組みがわかります。そして、この過栄養時代の肥満・糖尿病に対する新規治療法の開発という、私たちの夢も達成されると期待しています。
 2006年10月に米国でこの研究の講演を行ってきました。私が講演したマサチューセッツ医科大学では、RNA干渉の発見で、クレイグ・メロー博士が2006年のノーベル生理学医学賞を受け(授賞式は12月)、大きな喜びと達成感に包まれていました。50人ほど入るセミナー室で1時間講演したのですが、なんとメロー博士が最初から最後まで聞いてくれて、私は大感激でした。
 
 
私たちが見出した新しい臓器間代謝情報ネットワーク


佐藤 靖史

おか よしとも

1949年生まれ
東北大学大学院医学系研究科教授
専門:内科学、代謝内分泌学
http://www.med.tohoku.ac.jp/room/146/japanese.html


ページの先頭へ戻る