書名の「女史」は後宮の女官、「箴」は戒めの文という意味です。西暦300年頃の中国で、専横を極めた当時の皇后一族をいさめるため、張華という人物が自らを女史に擬して「女史箴」の文章を著し、婦人の徳を説きました。それを「女史箴図」として絵画化したのは、やや遅れて活躍した顧之と伝えられています。現在はその写しが、故宮博物院(北京)と大英博物館に残されています。
大正12年(1923)、帰国後に東北帝国大学法文学部の文化史学第二講座(東洋芸術史)教授に就任する福井利吉郎は、同じく欧州に滞在していた小林古径(当時40歳)・前田青邨(38歳)両画伯に、大英博物館の図の模写を依頼しました。彼らが精根を傾けた結果、単なる模写の域を超え、大正期絵画の代表作の一つと評されるに至ったのが、ここに紹介する作品です。
写真は古径の手になる第4図で、「人はみな自分の外見を飾ることは知っていますが、自分の心を修めて美しくすることは知りません。心を修めて美しくしなければ、道を踏み誤ることにもなります。他方、心を磨き善を心がけるなら、聖人にもなれるでしょう。善い言葉を口に出せば遠くの人もそれに応じるといわれ、それを怠るなら夫婦の間でも疑いが生じるのです」と、化粧だけでなく心を磨くことも重要であると説く場面です。男女に拘わらず、心がけたいものです。
(東北大学附属図書館)
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