[研究室からの手紙]

移りゆく「青葉の森」を捉える
鈴木 三男=文
text by Mistuo Suzuki

400年の青葉山の歴史

 「青葉の森」は、伊達政宗が1602年に開いた仙台城の御裏林に起源を持ち、明治以降は陸軍、第2次世界大戦以降は駐留アメリカ軍がこの地に駐屯し、アメリカ軍撤収とともに東北大学の植物園となりました。1958年(昭和33年)4月に開設された理学部附属植物園は、東北大学の歴史の中でも比較的新しい施設ですが、このような国立大学附属植物園は全国に本学と北海道大学、東京大学の3カ所しかありません。北海道大学、東京大学の植物園はそれぞれ100年を超える長い歴史を持っていますが、我が植物園は園としての歴史は短いけれど、その森は400年に及ぶ歴史があるというわけです。
 この400年の森の証人は、植物園本館と川内南キャンパス側の青葉山の裾に沿ってあるスギの巨木の並木です。そのうちの一本が1966年に落雷で倒れましたが、その樹齢が330年であったことから、仙台城の整備の過程で植えられたものと推測しています。
写真: 植物園のシンボル、 モミの球果を刺繍したシャツ

三十五年間の植生の変化
 「青葉の森」が東北大学理学部附属植物園となって間もない1964年に、園内の直径10cm以上の全樹木の調査が行われました。表に本数の多い樹種のベスト10を示しましたが、総数が9,518本で、1位はアカマツで、モミ、スギ、クリ、アカシデ、コナラと続きます。そして、西暦2000年を迎えるのを期に、1999年秋から2001年春にかけて36年ぶりの園内樹木の全数調査を再度行いました。調査は東北大学教育研究振興財団の助成を受けてなされたもので、結果は表の通りです。 驚くべきことは、本数が約2.5倍の24,393本に、そして樹種数が66種から九十四種へと約1.6倍も増えていることです。樹種の順番も大きく様変わりし、トップにドングリのなる落葉広葉樹のコナラが躍り出て、アカマツとモミは微増して一つづつ順番を落としました。アカシデがスギの上に繰り上がって4位となり、クリは激減してベスト20からも姿を消しました。

ますます自然度の高い森へ

 「青葉の森」は400年の歴史を持つと紹介しましたが、実は400年間伐採などから守られてきたのは有用木材であるスギ、モミ、マツなどの針葉樹材です。コナラ、カシなどの広葉樹は雑木(ざつぼく)と称して、青葉山周辺の住民が薪や製炭の用材として伐ることは黙認されてきました。ところが、植物園になってたきぎも山菜も採ることが禁止されて、樹木がすくすくと育って膨大な本数の増加につながったのです。
 こうした中、モミはますます巨木の数が多くなり、また、若木がすくすくと育っていて、木材の蓄積量で見ればきっと1番であると思われます。アカマツは若木が育つ一方、老木はマツノザイセンチュウ(材線虫)とマツクイムシにより毎年枯れていって、ゆくゆくはマイナーな存在になると予想されます。一方、コナラなどの広葉樹は、直径10cmを超える本数は増えましたが、それらの間で今、光をめぐる熾烈な競争が繰り広げられており、競争に負けた木はどんどん立ち枯れしており、全体の本数が減るとともに大木が多くなっていくといえます。
 植物園の工学部に接した所に望洋台、仙台城に向かう市道脇に見晴台という緑地があり、かつてはここから仙台市街はもちろん、遠く松島湾、牡鹿半島が見えたものです。しかし、現在では木が大きくなってほとんど眺望できなくなりました。地名が名のみとなってしまったというのも自然の移りゆく様のひとコマと言えましょう。22世紀を迎える頃、「青葉山の森」はますます自然豊かな森となっていくことでしょう。


HP:http://www.biology.tohoku.ac.jp/
garden/index.html

 

すずき みつお

1947年生まれ
現職:東北大学大学院 理学研究科教授
   附属植物園長
   附属八甲田山植物実験所長
専門:植物形態学、古植物学

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